「ジャワ史」(2019年08月07日)

2019年4月26日付けコンパス紙への投書"Sejarah Jawa"から
拝啓、編集部殿。19年4月10日付けコンパス紙の第一面に「ナガサスラと平和総選挙
へのメッセージ」と題する記事が掲載されました。

その最初の段落に「SHミンタルジャが著わした『ナガサスラとダイヤモンドのベルト』
と題する歴史小説の主人公マヘサ・ジュナールは、権力の座に就こうとするふたつの勢力
の間の闘争が先鋭化してしまったドゥマッを去ることを決意した。スルタン・トレンゴノ
Sultan Trenggana一族とアルヨ・プナンサンArya Penangsangを代表とするパゲラン・ス
カル・セダ・ルプンPangeran Sekar Seda Lepenの一族がその渦中の二勢力だった。」と
いう文章が見られます。

歴史を読むのが好きなわたしには、その文章がたいへん気になりました。というのは、パ
ゲラン・スカル・セダ・ルプンという人物はスルタン・トレンゴノの息子パゲラン・プラ
ウォトPrawataなのですから。パゲラン・プラウォトはアルヨ・プナンサンが差し向けた
刺客に殺されたのです。それはアルヨ・プナンサンの父親で、当時ジパンパノラン
(Jipang Panolan=今のブローラとボジョヌゴロ地方)のアディパティをしていたラデン
・スラウィヤタRaden Surawiyataをパゲラン・プラウォトが殺害したからでした。

父親がスルタンの位に就くのを助けるために、パゲラン・プラウォトはアルヨ・プナンサ
ンの父親を殺害したのです。アルヨ・プナンサンの父親はスルタン・トレンゴノの弟であ
り、パゲラン・プラウォトは自分の叔父を殺害して、最終的にトレンゴノがドゥマッスル
タン国の王位に就いたのでした。アルヨ・プナンサンがパゲラン・プラウォトを殺したの
はその復讐です。

だから当時のドゥマッ王国では、王位を巡ってふたつの勢力が暗闘していたのですが、そ
れはスルタン・トレンゴノと息子のパゲラン・プラウォト(パゲラン・スカル・セダ・ル
プン)陣営と、ラデン・スラウィヤタとその息子のアルヨ・プナンサン陣営だったという
ことです。その両陣営は共に初代ドゥマッスルタンだったラデン・パタの三人の息子たち、
アディパティ・ウヌスAdipati Unus、トレンゴノ、ラデン・スラウィヤタの一部です。

マヘサ・ジュナールという名前は公式歴史に登場しません。それは作家SHミンタルジャ
が創造した人物なのです。[ ヨグヤカルタ在住、グナント・スルヨノ ]


2019年5月20日付けコンパス紙への投書"Sejarah Jawa 2"から
拝啓、編集部殿。19年4月26日付けコンパス紙への「ジャワ史」と題するグナント・
スルヨノさんの投書を拝見して、次の内容が気になりました。

パゲラン・スカル・セダ・ルプンという人物はスルタン・トレンゴノの息子パゲラン・プ
ラウォトなのですから。・・・・アルヨ・プナンサンの父親はスルタン・トレンゴノの弟
であり、パゲラン・プラウォトは自分の叔父を殺害して、・・・・

パゲラン・スカル・セダ・ルプンはパゲラン・プラウォトではありません。パゲラン・ス
カル・セダ・ルプンとは川で没したパゲランの意味であり、それはアルヨ・プナンサンの
父親でパゲラン・プラウォトに殺害されたスコリロとパティの統治者であるラデン・スラ
ウィヤタ別名ラデン・スリヨウィヤタのことなのです。

もうひとつの文「アルヨ・プナンサンの父親はスルタン・トレンゴノの弟」については、
年代史や歴史の記録によればラデン・パタは三人の息子を持ち、上から順にディパティ・
ウヌス、スラウィヤタ、トレンゴノとなっていて、トレンゴノは三番目の息子だったとい
うのがわたしの理解です。つまりスラウィヤタはトレンゴノの兄だったということです。
そのできごとはディパティ・ウヌスが没したあとの王位継承の争いに関連しており、プラ
ウォトは父親を王位に就けるために次男として優先権を持つスラウィヤタを殺害したので
す。

だからトレンゴノの死後、ドゥマッの王位継承権は自分にあるとアルヨ・プナンサンは考
えたのです。自分の父親が優先権を持つ王位をトレンゴノが奪ったという理解がかれのも
のでしたから、トレンゴノの没後、その王位継承権を持つトレンゴノの子孫をかれは殺し
たのです。[ レンバン在住、ルスディ SPD ]