「共産主義とファシズム(後)」(2019年08月14日) わたしはオランダにヨス・ウィビソノという名の親友がいる。インドネシアに関する歴史 知識の宝庫である国オランダで、かれはオランダ語の文献を読み漁っている。われわれは よく、アムステルダムのあちこちのバーで22時過ぎまで話し合う。ビールを飲みながら かれは、インドネシアの文民著名人、政治・外交・学術・音楽等々の分野で重要な役割を 果たしたひとびと、の履歴を物語る。かれは左翼寄りの人物の名前が、右寄りの傾向を持 つ歴史の流れの中で押しつぶされがちな傾向にあることに強い同情を示す。 「あんたがどうしてミラン・クンデラを好むのか、不思議だ。ヴァツラフ・ハヴェル Vaclav Havelにあまり注意を払っていないだろう?」とヨスはわたしを批判する。現在パ リに住んでいるチェコ人作家をわたしがあまりにも頻繁に引用するとかれは見ているのだ。 ふたりとも左翼の被害者だが、ハヴェルと違ってミランは極右だ。 あてどなくあちこちに漂うわれわれの会話に付いて行けないひとのために補足しておこう。 クンデラもハヴェルもチェコ文学界の巨匠たちだ。共産ロシアが1968年にチェコを侵 略してから7年後にクンデラはフランスに亡命し、現在もそこに住んでいる。 ヴァツラフ・ハヴェルは違う。かれは祖国に残って自らビロード革命と名付けた革命を推 進し、後に1989〜92年と1993〜2003年にチェコの大統領となった。ハヴェ ルは演劇人であると同時に劇作家であり、また詩人でエッセイストでもある。 「存在の耐えられない軽さ」は本質的に、共産ロシアの掌中に握られたチェコ(当時はチ ェコスロヴァキア)の再生の可能性に対する悲観主義を示すものになっているのだが、歴 史は異なるストーリーを物語った。1980年代末にコミュニズムはヨーロッパから去っ て行ったのである。 それ以来、クンデラのいくつかの作品には祖国を亡命した者たちの愛と憎しみの一種の 証法である帰国すべきか否かについての葛藤が顔をのぞかせる。たとえば「Ignorance (無知)」という作品に関連してわたしはヨスにこう言った。「左翼・右翼」などという 政治用語は、複雑な人間の感情を表現するにはあまりにも狭いものでしかない。 わたし自身がどのカテゴリーに属していようが、わたしが学校の中のミリタリズムを好ま ないのは、今現在でさえ例外でない。新入生オリエンテーション期間中に生徒が死亡する 事件は何度も起こった。ナショナリズムの反映と見られている整列行進は、国際レベルに おいてはお笑い草思想なのである。