「ルピアレートの変遷(4)」(2019年09月23日)

1965年12月14日朝、新旧紙幣の交換が開始されてから半日ほどしか経過していな
いというのに、西ジャカルタのプトジョ地区にあるガンハウベル市場を取材に訪れた新聞
記者は、眼前で展開されている商売大繁盛の有様に驚かされてしまった。大勢の人間が市
場で販売されているありとあらゆる商品を値切りもしないで買い漁っているのである。1
千分の1に目減りするウアンラマを早急に使い果たして物品に替えようと購買者たちが必
死になっている姿が記者の目に明白に映った。

案の定、市場の商人たちは値段を引き上げる。リッター当たり1千数百ルピアの白米はあ
れよあれよと言う間に2千、3千、4千、5千と値上がりしていく。キロ8千ルピアだっ
た牛肉は1万2千ルピアに、生鶏1羽は6千ルピアから1万数千ルピアに、ケチャップマ
ニスは2千から4千に、砂糖はキロ1千4百ルピアから2千ルピアに、鶏卵1個3百ルピ
アが5百ルピアにといったありさまで、このパニックはどうやら全国的に起こっていた模
様だ。

それは、市場価格行政の現場担当職員たちにとって、きりきり舞いさせられた悪夢のよう
な一日だったにちがいない。だが扱い商品の価格を需要に応じて好き勝手に値上げした市
場の商人を処罰したところで、既に火が着いたインフレパニックが収まろうはずもなかっ
た。


経済評論家筋はこの現象を、政府の政策説明を正しく理解せず、過去にオルラ政府が行っ
た通貨の額面縮小の繰り返しと誤解した国民の勘違いによるものだと分析したが、市場の
投機筋がそれをチャンスと見て煽った事実も混在しており、こうして起こったインフレ発
生という最大の問題がウアンバルの価値を低下させてしまったことに対する妙薬は政府の
手中にもなかった。

ウアンバルの価値下落にたまりかねて、1966年1月には政府も公共料金の値上げを開
始する。1月3日、政府は石油燃料市場小売価格を値上げした。ガソリン代の値上がりが
ありとあらゆる物価に影響を及ぼすのは、古今通例の慣わしである。直接的には運送輸送
料金がそれに反応する。

1月5日、鉄道料金が引き上げられた。たとえばジャカルタ⇔スラバヤ間長距離夜行列車
のエコノミー料金が14,200ルピアから113,600ルピア(いずれも旧紙幣で。
新紙幣では113.6ルピアになる)に約8倍アップした。全国どの区間も十倍近い値上
がり率だった。

都バス料金も例外でなく、従来から乗降区間に関係なく一回の乗車が旧紙幣でひとり2百
ルピアだったものが、新紙幣でひとり1ルピアに変更された。学生たちはその値上がりに
抗議して、バスに乗る際V字型に指を二本立てて「ドゥアラトゥス、ドゥアラトゥス」と
叫ぶのが流行したそうだ。


ルピアの交換レートについてオルバ政府は固定相場制でスタートした。
1965年から1970年まで、ルピアレートは250ルピア/USDで固定され、70
年4月17日に378ルピア/USDに切り下げられたあと、続いて1971年8月23
日に再度デバリが行われて415ルピア/USDとなる。[ 続く ]