「原理にそぐわない言葉の変質」(2019年09月24日)

ライター: 文司、ヨス・ダニエル・パレラ
ソース: 2008年8月22日付けコンパス紙 "Tani dan Wajib"

言語はそれが使用される社会の必要に応じて、形態的且つコンセプト的な発展を示す。言
語の発展は法則に従うだけでなく、法則から逸脱して起こることもある。それはインドネ
シア語にも起こっているのだ。

われわれはHimpunan Kerukunan Tani Indonesia略してHKTIという団体があることを
知っている。そこに集まっているのは、言うまでもなく農業を営む人間たちだ。どうして
Petaniとしないのか?

taniの動詞用法はbertaniの形を採る。農耕するひとを意味する場合はpetaniであってtani
ではない、とインドネシア語学者はコメントすることだろう。


同じような異変はwajib pajakという熟語の形で、wajibという語にも起こっている。われ
われは今や、納税者基本番号nomor pokok wajib pajak略称NPWPという言葉を使って
いる。wajib pajakとは人間のことだ。政府は国庫収入のために収税に力を入れており、
wajib pajakの語が一般化しているだけでなく、納税者番号nomor wajib pajakという語ま
でもが用いられている。

ところがわれわれは、また別の義務kewajibanに関してもwajibという言葉を使っているの
である。たとえばwajib belajar, wajib lapor, wajib militer, wajib kerjaなどがそれ
だ。もっと他にもあるだろう。ここでのwajibは義務の意味であってひとのことではない。
このように、taniもwajibも動詞語根がひとを表す名詞に機能変質を起こしてしまった。

それ以外にも、tenagaという言葉がtenaga kerjaという熟語でひとを表す使われ方をして
いる。tenaga kerja Indonesia/TKIやtenaga kerja wanita/TKWがその例であり、あるい
はtuna-がtunasusila, tunanetra, tunarungu, tunagrahita, tunawisma, tunakaryaなど
の合成語に使われてひとを表している。


インドネシアでは一般的に、単語の語義や形態は学者がリードするのでなく、マスコミや
政府が舵を握っている。単語の語義や形態が社会に受け入れられる条件の中に、使用頻度、
使用者の多寡、使用地域の広さ、マスコミの使用傾向、政府・政治家・著述家など国家エ
リートの動向などがあり、要するに語義や形態が原則にそぐわないものであっても、かれ
らが頻繁に用いることで社会に広まっていくのである。

そのようなものの例として、pemekaran wilayahやpemungutan suaraをあげることができ
る。その両方とも、政府が広めた言葉だ。wilayahやdaerahは決してmekarしない。mekar
し、dimekarkanされるのは、kepemerintahanなのである。

ひとつの州が、あるいは県が、二つや三つに分割されるのがそれであり、wilayahや
daerahは小さくなっていく一方で、kepemerintahanは二つや三つに増えていく。県令
や州知事がひとりから複数に増加し、行政機関もそれに合わせて増えていくのである。

国民が見守らなければならないのはpemekaran korupsiであり、一部行政高官たちの行う
pembagian keuntunganである。最後になるが、TPSというのは政府が主導権を持つtempat 
pemungutan suaraでなくて国民が主体者となって候補者に投票するtempat pemberian 
suaraであるべきものだ。それがデモクラシーというものの真髄なのだ。言葉ですら、デ
モクラシーの推進に一役買うことができるのである。