「公共福祉事業に利益を求める」(2019年10月04日)

インドネシアで上水道会社は各地方自治体が持つ公営の事業体になっている。公共事業で
あることから、上水道会社は事業利益よりも住民への公共福祉を優先してしかるべきであ
るというのに、現実には利益優先体質が露骨に示されて、住民に潤沢な上水利用の機会が
与えられないことが往々にして起こっている。

資本不足による設備投資の遅れをそこに結び付ける議論が頻繁に使われているものの、そ
れはまた別の要因であって、本質的なコンセプトにおけるダブルスタンダードに帰せられ
る原因のほうがメインであるようにわたしには思われる。

インドネシア人が事業というものに対して持つ基本観念は利益であり、利益のない事業、
赤字の事業といった「悪事」は経営者の無能に帰する見解が旺盛なようだ。それは公共事
業とて例外でない。要は、金もうけに秀でた人間が優秀な人間であるという日本のどこか
にもある人間観に結びついていく。

地方自治体の公営事業に口をさしはさむのは資本オーナーの自治体であり、そして監督役
を自任する地方議会だ。かれらのいずれもが、上水道事業からも利益配当があることを期
待する。インドネシア人にとっての経済原則がきっとそれなのだろう。

議会が公共福祉を名目にして時に非常識という観さえ抱かせる上水道料金を自治体に強要
する一方で、公営会社は利益を出してしかるべきだという二律背反の姿勢を示している現
実も存在している。

中央政府にはそこでのさじ加減がわかっていても、人材の層が薄い地方自治体の公共事業
に口をさしはさむことが構造的にむつかしいものになっているにちがいない。

行き着くところは、公営上水道会社の経営者が何を基準にして事業を行うのかというポイ
ントに絞られてくる。ジャカルタのような都会ならまだしも、地方部へ行けば経済原則の
常識が経営者をがんじがらめに縛り、経営者の目を馬車馬のそれにしてしまうという外圧
ははるかに高いにちがいない。経営者が秀でた経営者たらんとして利益重点主義を実践す
るケースもあるだろうし、公共事業の趣旨を理解しながらも利益を出さなければ自分の身
が危うくなる環境という構造的なむつかしさに屈服するケースもあるだろう。

高い電力料金を払ってポンプを稼働させ、パイプ網のすみずみにまで高圧で水を送るとい
う機会を極小にすれば事業経費も小さくなり、固定料金部分とのバランスが取れるかもし
れない。契約者になるべく水を使わせないようにすれば事業経営は有利になっていくとい
うパラドックスが、ひとつの答えを与えるのである。


2013年6月27日にジャカルタで開かれた「持続可能な水資源経営」と題するワーク
ショップで全国水資源評議会メンバーのクスワント・スモ・アッモジョ氏は「上水道会社
を呪縛している利益重点主義体質が社会の水資源利用権利を最優先するという使命を二の
次に追いやる傾向を出現させている。」とコメントした。

氏はまた、富裕階級に属す社会的な声の大きい大量消費者への供給を優先し、貧しく一件
当たりの消費量も小さい地区へのパイプ網の充実や水供給量の確保を上水道会社はおろそ
かにする傾向を持っている、とも批判している。

水資源に関する2004年法律第7号に対する司法審査で憲法裁判所は、公営上水道会社
は国民の上水道需要を満たすための国家機関であり、国民の水資源利用権を最優先して、
利益重点主義は廃さなければならない、との見解を示しているのだが、中央政府の地方公
営企業監督の実効性はまだまだほど遠いありさまのようだ。