「これがスパイスロード」(2019年10月10日) ヨーロッパ人がやってくるずっと以前から、インドネシアのスパイスは幅広い地域に知ら れていた。インドネシア産ナツメッグ・クローブ・ショウガ・コショウ・シナモンなどの 高名さは、それらを海のかなたのあちこちへ運び込んだインドネシア人船乗りの活躍無く して起り得なかったことがらである。 インドネシアの船乗りたちの物語は、マジャパヒッ王国時代の宮廷文司ンプ・プラパンチ ャMpu Prapanca(1350-1389)が「マジャパヒッの船は遠く中国やインドまで航海した」と 書いていることや、マカッサルのハサヌディン大学歴史学者の、「マジャパヒッの船とは 別に16〜17世紀にかけて南スラウェシのゴワGowaやタッロTalloの交易船がさまざま な国を訪れていた」という記述に見ることができる。 16世紀になってヨーロッパ人がスパイスの産地を訪れるようになって巻き起こったユー フォリアは、1千年以上続けられたインドネシア人船乗りによる交易の延長線上にあるも のであり、スパイス交易独占という行為がそこから端を発したのである。 インドネシア人の目から見たインドネシアのスパイスの通商交易の歴史の中に、スパイス が海を渡って諸大陸にもたらされた交易路が浮かび上がって来る。テルナーテを中心とす る北マルク、南スマトラ、リアウ、そしてその幹線に接続してくる各地からの支線。イン ドネシア人が主張するスパイスロードがそれだ。 インドネシアはそれをユネスコ世界遺産委員会に申請して、文化遺産認定を得ようとして いる。 インドネシアは既に9件の世界遺産を認定されている。文化遺産として; 1991年 チャンディボロブドゥル、チャンディプランバナン 1996年 サギラン古代人遺跡 2012年 バリ島スバッシステム 2019年 サワルントのオンビリン炭鉱 自然遺産として: 1991年 ウジュンクロン国立公園、コモド国立公園 1999年 ロレンツ国立公園 2004年 スマトラ熱帯雨林 がそれだ。 いま現在インドネシアが申請している19件が世界遺産委員会暫定リストに載っている。 そこにスパイスロード、ヨグヤカルタ、ボゴール植物園、トラジャ伝統コミュニティ、東 カリマンタンのサンクリラン・マンカリハッカルストが来年追加されることになっている。