「知能的な日本軍政(後)」(2019年10月11日) ところが残念なことに、日本が連合国に降伏したあと、あれほど熱心に行われていたバイ オ燃料生産への関心は瞬く間に消滅して行った。トウゴマの木も、カポック綿の木も、誰 ひとりとして見向きもしなくなり、短期間のうちに住民居住地区から姿を消していったの である。日本軍政がインドネシアの地に築いたバイオ燃料生産システムは、あっと言う間 に崩壊してしまった。独立共和国政府が採ったエネルギー政策は昔ながらの化石燃料への 復帰だった。 あれから70年ほどが経過して、原油国際相場が著しく高騰した。先行き不透明になって しまった石油燃料の収拾策としてバイオ燃料の掛け声がかかったのは、たいへん合理的な 対応だ。 ところがテレビに登場した国政高官のひとりが、数百兆ルピアをかけてトウゴマ生産体制 を構築する方針を物語ったとき、驚いた国民はどれほどいただろうか?もしあの頃の日本 軍人が今ここにいたなら、きっと大笑いに笑い転げたにちがいあるまい。あの当時、日本 軍政がトウゴマの生産体制を整えたときに、かれらがそのために現場に投じた費用などほ とんど無かったのは明白だ。 栽培のための農園用地などなくて構わない。栽培も手入れも簡単であり、どんな土地にで も育つ。村落部にありきたりのテクノロジーで十分に生産できるのである。何兆ルピアも の費用をかけて農園産業にしなければならないものではないのだ。 トウゴマは手入れせずにほったらかしておいても育つ。土地の生産性も問題にならない。 道路わき、川沿い、チーク林・ゴム林・油ヤシ林の隙間、やせ地、鉄道線路わき、自動車 専用道わき、飛行場の周囲、墓地・・・と至る所で栽培できる。たとえば総延長数千キロ という鉄道線路わきを使うだけで、何トンものトウゴマの種を収穫することができる。さ らに油ヤシ農園やチーク林の隙間を使えば、どれだけの量が得られることやら。 < 休眠地の潜在力 > 日本軍政の頭の良さがそこに表れている。巨額の資本投下を避けるために、大規模農園を 作るようなことをしなかった。休眠地を使って栽培させ、収穫を集めるためにそれ以前に 行われたことのない社会ネットワークの活用を行ったのである。高額で成功するかどうか もわからないメガプロジェクトに現代人は目を向けたがる。水田百万ヘクタールプロジェ クトや油ヤシ農園百万ヘクタールプロジェクトを見るがよい。その結果、トラブル百万件 が生じているではないか。 強圧的なパターンを頻用するというネガティブ面はあったにせよ、昔の日本軍は実際に代 替エネルギーをハードワークのみによって獲得するのに成功している。もしも今、トウゴ マ栽培を経済的アプローチと国民を巻き込む形のプロジェクトにしたなら、国民に代替エ ネルギー生産への参画意識を持たせると同時に、エネルギー浪費の習慣を差し控えさせる という一石二鳥の国民教育が期待できるだろう。更には、国民の生活環境周辺にある非生 産的な土地にトウゴマを植えてみようと考えるひとびとに収入を増加させるチャンスにも なるはずだ。それはまた、緑化という面で生活環境改善に効果をもたらす。土地の乾燥を 防ぎ、水を地中に貯え、土壌流出を防ぐ。 トウゴマの木が重要資源であること、そして空き地をトウゴマで埋め尽くすことを強調す るキャンペーンを大々的に行わなければならない。今必要とされているのは、空き地を持 っている個人や役所や私企業がそこにトウゴマをどのように植えるのかというブレークス ルーなのだ。大きなステップが小さな一歩から始まるのは言うまでもあるまい。開始しな ければ、トウゴマは墓地の垣根で終わってしまうだろう。 原油価格がますます高騰している現在、国民ベースの代替燃料供給システムを設けている 時間はもう残されていない。栽培面でも流通面でも、バイオ燃料は長い連鎖を必要として いる。今すぐにスタートさせなければ、石油購入のために外貨は無駄に流出し、大きい損 失をこうむることになる。各家庭に任意でトウゴマの木を二三本植えるよう求めるキャン ペーンを行ってみてはどうだろうか?収穫をどのように集めるかという問題が残っている。 各家庭を回って一握りのトウゴマの実を集めてはどうだろう。塵も積もれば山となるのだ。 皮肉なことに、最近の家々の庭では、菊、アデニウム、プルメリアなど役に立たない観葉 植物の盆栽が競って栽培されている。まったく奇妙な事実である。[ 完 ]