「リニとリナの物語(前)」(2019年11月05日)

女性心理学者エリザベス・クリスティ・プルワンダリ人文科学修士はインドネシア大学臨
床心理学教官であり、特に家庭内暴力や性暴力関連のカウンセリングに意欲的で、被害者
女性に対するリハビリへの貢献度は高い。

かの女がコンパス紙に投稿する論説からは、インドネシア社会にある家庭生活や個人生活
の生々しい状況を垣間見ることができる。そこに浮き彫りにされている、インドネシア社
会にある男優女劣文化がもたらす女性の生き様からわれわれは、インドネシア女性の意識
の中に刷り込まれている価値観が時にわれわれの想像をはるかに超えたものであることを
知って唖然とすることもある。


プルワンダリ医師がカウンセリングを行ったふたりの女性についての生き様はこのような
ものだった。

夜中にわが身をひさいでいた15歳の少女が捕まり、更生施設に送り込まれた。名前をリ
ニとしておこう。リニは中部ジャワの村落部の貧困家庭に生まれた。両親は子供の教育が
拳骨と体罰であると信じている人間だった。数カ月前、父親はリニを初老の男と結婚させ
ようとした。その男からの借金が返済できないために娘を借金のかたにするという、村落
部によくあるストーリーだ。自分はまだまだ学校を続けたいと思っていたリニは自分の人
生の曲がり角に直面して恐怖感にとらわれ、矢も楯もたまらずに家から逃げ出した。

びた一文も持たないままリニは自分の村からできるかぎり遠くへ逃れようとして、通りか
かる自動車に乗せてもらい、何台も乗り継いでどことも知れない土地を巡った。途中に乗
せてもらったトラックの助手にリニはレープされた。

リニの人生観も世界観も、真っ暗なものになっていたにちがいあるまい。かの女はただ怯
え、自分を餌食にしようとしている人間ばかりのこの世界で生き延びるために自分はどう
すればよいのか、明瞭な答えを見出せないまま、とりあえず食べて行くために、リニは夜
中に春をひさぐ商売に入ったのだった。


10年前にプルワンダリ医師のもとに通ったことのある、リニとは境遇のまったく異なる、
もっと年上の若い女性がいる。名前をリナとしておこう。リナは大学の学士号論文指導教
官に性的慰み者にされた。そのできごとがリナにトラウマを遺し、いまだに立ち直れない
でいる。抑うつ状態がひどくなると、今でもプルワンダリ医師に電話をかけてくるそうだ。

リナは自分を、罪悪者であり、何の価値もない人間だと感じている。それは、あのできご
とのあと、リナと交際するようになった男たちがあのできごとを知るたびにリナから離れ
て行くということが何度も起こったからだ。そんな体験がかの女の心理形成に影響を及ぼ
した。

世間がみんなして自分を眺め、噂しているようにリナは感じている。「あの子は身持ちの
いい娘じゃないよ」「あれは人生の失敗者だな」「処女じゃないんだよ」「いまだに結婚
していない」

世間からのネガティブな視線とささやきから自分を守りたい。そのために、自分を保護し
てくれる忠実な男性を得たいという憧れがリナの行動を縛るようになる。そして自分を保
護したいという欲求が自分を保護できなくするという矛盾をもたらした。リナは交際する
男性にティダが言えなくなってしまったのだ。

この男に自分を守ってもらいたいと思った相手と知り合って交際を続けるうちに、相手が
自分から離れて行くのを恐れてリナは相手が望むことを何でもするようになった。自分は
望んでもおらず、相手はただ自分の肉体を利用したいだけだと感じても、相手がロマンチ
ックさなどかなぐり捨てて露骨に「セックスしよう」と誘い掛けてくるのをリナは拒否で
きないで身を任せるだけ。

リナにとっては、セックスの中で望んでいるものが性的興奮や快楽でなく、自分を保護し
てくれる男を受け入れ、親密な関係を、特に精神的な結びつきを感じたい点にあって、性
行為はただの機械的な動作にすぎないという内容になっているのだが、男の感覚はまるで
異なる。[ 続く ]