「オトコ共和国」(2019年11月08日)

ライター: ナフダトウルウラマアチェ支部専門者会、テウク・クマル・ファシャ
ソース: 2018年1月29日付けコンパス紙 "Republik Laki-Laki"

レフォルマシ時代が早くも二十年になろうとしているというのに、インドネシア女性にと
っての喜びはまだ多くない。女性にとっての法的保護と解放を象徴する性暴力解消法案の
検討はいまだ薄明かりの中にある。

性暴力解消法案の存在は、これまで刑事犯罪として認められることのなかった女性への暴
力がもたらしてきた女性の劣位を妥当な位置付けに戻すものと信じられている。この法案
の最初のものには9種類の暴力刑事犯罪が収められていたが、最新版では、避妊の強制、
堕胎の強制、婚姻の強制、売春の強制、セックス奴隷など、そのいくつかが刑事犯罪でな
いと見なされて条文が消されている。

性暴力解消法案のたどってきた道程は曲折に富んでいる。ジョコ・ウィドド政権発足の初
期に、家庭内暴力解消に関する2004年法律第23号と人身売買刑法犯罪撲滅に関する
2007年法律第21号、並びに刑法典に不足のあることがらを法制化するためにこの法
案が用意された。

性暴力解消法案は、法律の規定がないために刑事事件とすることが困難なものに光を当て
る灯台とも呼べるものだ。同時に、女性に終わりのない性的汚辱を与えたり、被害者を何
人も作り出す者たちに対するショック療法ともなりうるものなのである。


法案の構成と法的準備は十分に練られていた。法案は2014〜15年にインドネシア全
国の120人と女性国家コミッションで構成されたサービス実現フォーラムFPLが用意
した。この法案は国会が主導的に2016年立法プログラムに入れたのだが、検討が開始
されたのは2017年後半だった。残念なことに、この法案の検討は女性の関与の少ない
国会第8委員会の作業委員会レベルでのみ行われた。国会全委員会を横断的に構成する特
別委員会で諮られたら、はるかに良かったのだが。

社会の規範と価値観を刷新する進歩的法案の多くが体験するように、性暴力解消法案も後
ろ向きに歩まされる運命をたどったようだ。顕著なできごとは、性暴力に関するいくつか
の重要な条文が国会審議の中で、見る見るうちに刑事犯罪に該当しないという扱いを蒙っ
たことだ。女性活性化児童保護省が代表する政府チームは不合理な家父長制思想に操られ
て、ミソジニー的性搾取的条文を問題抜粋表から外してしまった。

夫が妻を快楽商品として第三者に売るような事件のニュースはいくらでも流れているとい
うのに、あたかも家庭内レープなど存在しないと言うような不可解な発言がいったいどう
してなされ得るのだろうか?強固なフェミニズムやジェンダー意識で覆われるべき国家機
関の内部に家父長制度思想が繁茂していることを証明するものがこれなのである。

< フィクションでない >
WHOデータによれば、女性の三人にひとりは物理的性的暴力の被害者になっている。女
性国家コミッションの年次報告書では、2016年の女性に対する暴力事件は259,1
50件を数えた。その9割以上が358カ所の宗教裁判所に記録され、残りは全国にある
女性支援協力団体の時系列記録の中にある。物理的暴力が最大の42%を占め、性暴力は
34%あった。

フィクションと呼ばれるには、そのデータ数字はあまりにも大きい。それは想像の産物で
もなければ、いい加減な市民ジャーナリズムの結果でもなく、法的有効性を持つ公正なデ
ータなのだ。とはいえ、肉体と性に関する女性の暗黒ストーリーがそれで明らかになるわ
けでもない。被害者女性に対する犯罪者化、迫害、賤しめに対しては、いまだに公正で人
間的な法的保護が存在しない。女性はモラルや宗教を理由にして簡単に虐待されている。


筆者の2017年調査ではますます仰天すべきクオリティが示された。暴力発生は家庭内
や公共スペースだけでなく、教育現場でも起こっているのだ。伝統的イスラム教育機関ダ
ヤdayah(プサントレン)でも起こっていることが判明した。この調査のベースは地方条
例の合法的調査であり、社会福祉を目的にしている。分析ツールは法規の存在とその社会
責任がもたらすメリットと経済効果だ。調査対象として北アチェのダヤ教育実施に関する
2012年カヌンQanun第3号が取り上げられた。

一般論としては、このカヌンは「ジェンダー中立」つまり女性ウスタズや女性サントリに
関して性差別を含んでいないと見られている。ところが書かれた法的規範は現実世界にほ
とんど役に立っていなかった。

予想もしなかったことに、調査の中で女性サントリに対するさまざまな性暴力事件が見つ
かったのである。奇妙なのは、それらの事件に対する法的決着が慣習の適用に傾いていた
ことであり、その実態が村役人と法曹職員に誘導されていたことだ。

伝統的なダヤにおける性暴力事件が頻発すると、県令は県令規則を設けて鎮静化を図った。
ところがその内容たるや、ますますミソジニーと性差別を深める方向へと進んだのである。

県令規則のある条文はこのような内容になっている。「育成者による倫理に外れた不道徳
な行為による違反は、示談や慣習的方法で決着できないとき、当局側が刑事事件として扱
うことができる。」(2014年北アチェ県令規則第35号)
性暴力が民事事件あるいは軽犯罪であって示談で解決させることができるものである、と
いう見解になっていることをこの現象は証明している。


ハンバランプロジェクトのように性暴力解消法案が行き詰まってしまっているのには明白
な理由がある。社会の頂点から始まって、女性に対する性暴力事件は相変わらず慣習とロ
ーカル文化がそれを覆い隠しているということだ。行政エリート末端に至るまで、宗教的
人気取りやへつらいが法治確立方針における進歩的措置の実践を腰砕けにしている。

文化人類学的側面においてわれわれの社会は被害者、特に量的にマジョリティを占めてい
る貧困で低社会階層に区分される女性の権利を尊重していない。セックス問題においては、
いつまでも女性が悪者であり、男性は名誉を汚された被害者の位置に置かれる。自分が受
けたセクハラやセックス奴隷の証言に対して、被害者女性は「嘘だ」「作り話だ」と非難
される。この問題に関してわれわれの共和国は依然として不均衡な歩みを続けている。