「性差別を奨める辞典」(2019年11月15日) ライター: インドネシアナフダトゥルウラマ大学言語学教官、ファリス・アルニエザル ソース: 2018年5月12日付けコンパス紙 "Adjektiva Seksis" 数量がクオリティを保証するものでもなければ比例するものでもないとはいえ、KBBI (インドネシア語大辞典)がますます分厚くなっていくことは喜ばしく、また誇りにして 当然のものでもある。2018年2月19〜25日版テンポ紙の「Jumlah Dahulu, Mutu Nanti Dulu」と題するコラムでエコ・エンダルモコ氏が述べた嘆息論説の抜き書きがそれ だ。このテサモコTesamoko編纂者は、数量追求意欲は自己卑下コンプレックスの反映であ ると同時に収集語彙の質的劣化をも示している、と述べた。種々の論議と共にかれは、 cape=capai, konde=kundai, reak=riak, prei=peraiといった異なる綴りの同一語彙を指 し示したのである。 われわれの辞典整備状況は完ぺきさにまだまだほど遠い。KBBIに採録される単語の条 件と決まりを国語庁が年々厳しく変化させていることをわれわれは知っている。KBBI への採録可否を決めるために定められた基本条件が少なくとも5つあると国語庁は述べて いる。ユニークであること、インドネシア語の法則に合致していること、ユーフォニック (耳に心地よく響く)であること、ポジティブなコノテーションを持っていること、使用 頻度が高いこと。その5条件はさらに一連の検討を経なければならない。種々のソースで 見受けられるか、種々の階層が使用しているか、長期間の耐用性が予見できるか? 他にもたくさんの問題にぶつかる。語義を付ける際の正確さと緻密さ、例文を打ち出すと きの性差別や他の方針なども大きな宿題になっている。特定の性別にとって焼印的扱いを 受ける語彙に区分されるものを、われわれは容易に見出すことができる。 たとえばcerewetという語だ。KBBIではこの単語の語義をsuka mencela (mengomel, mengata-ngatai, dsb),banyak mulut; nyinyir; bawelとし、例文にはpembantu rumah tangga biasanya tidak suka bekerja pada nyonya rumah yang --が使われている。こ こでnyonya rumah yang -- という句に見られる見解についてわれわれが問うことは妥当 であるにちがいあるまい。それはcerewetという性質が習慣的に女性のものと見られてい ることを主張し、その見解に読者を直接引き込むものとして作用する。 同じようにceriwisという語についてもKBBIは語義をsuka bercakap-cakap; banyak omongとし、例文にsudah umum setiap gadis itu -- と記している。cerewetと同様、K BBIは読者を直接ジェンダーバイアス、つまり性差別的色彩を発散させる語義の中に 引き込んでいるのである。その意味から、KBBIを手本にするなら、ceriwisという形 容詞を男性に使うことが感覚的に困難になる。ところが実際には女性だけがcerewetにな るわけではなく、男性もcerewetになるのである。 性質はいつも、且つだれにでも、性別とは無関係に付随する。それを特定性別・特定人称 に、時に不適切な様相で、あてはめているにはわれわれ自身なのだ。ジェンダーとは辞書 の語義と例文の方針が作り出している社会構造であるというボヴォワールの言葉は真実だ。 しかし、プラムディア・アナンタ・トゥル氏は以前から警告している。インテリは思考の 中で既に平等になっていなければならない、と。