「今は昔、翻訳家の黄金時代(前)」(2019年12月10日)

ライター: 「バイトゥル・キルマ」クリエーティブプサントレン設立者、作家・翻訳家、
アグッ・イラワン MN
ソース: 2009年5月2日付けコンパス紙 "Profesi yang Terlupakan"

翻訳という活動がなされなかったなら、スペクタキュラー小説「ハリー・ポッター」が数
百万にのぼるインドネシアの小説愛好家を楽しませることはなかっただろう。世界各地か
ら届く国際ニュースが国内読者の情報知識を増大させることも、翻訳がもたらす功績であ
る。あまりにも当然の話だが、英語やアラブ語の書物がインドネシア語に翻訳されないな
ら、大勢のインドネシア人がその内容を知ることはない。

しかしながら、一大ブームの中で数百万のインドネシア人を酔わせたJKローリングスの
作品の翻訳に神経をすり減らした人物について、それがだれだったのかをあなたは知って
いるだろうか?同様に、あなたが読むことのできた英語やアラブ語の原作のインドネシア
語訳に貢献した人物について、どれだけあなたは知っているだろうか?

インドネシアで翻訳者の業績に対する社会の関心が甚だ薄い現実を見るにつけ、そのよう
な質問が出されて当然であるようにわたしには感じられる。翻訳作品が一大ブームを巻き
起こしたときですらその翻訳者が経済的恩恵に浴していない事実が、社会的関心の薄さを
証明しているではないか。


出版社の台所では、翻訳者は往々にして編集者や製作者に玩弄される。皮肉なことに、か
れらが出版する輸入作品の翻訳版に翻訳者の名前を掲載することを、故意にかどうか知ら
ないが、かれらは忘れてしまうのである。

インドネシアにおいて翻訳家という職業がいまだに世間になじみのない、それどころか無
視されるものであるのは事実だ。それを生涯の仕事にし、あるいはその道のプロになろう
という夢を抱いて精進する青少年はいない。ましてや、大人であれば、何をかいわんやだ。
この種の仕事には誇りが持てず、経済的繁栄の保証すら得られない。

増加してきた翻訳産業自身がそんな実情をバックアップしている。翻訳者の業績に対して
ふさわしい対応を示そうとしないのだ。翻訳者の辛苦に対する報酬があまりにも小さいこ
とがそれを証明している。その結果インドネシアで翻訳者たちはきわめて貧しい暮らしに
あえいでいる、

< 歴史の中の翻訳者 >
アラビア半島にイスラムが勃興する前、ササン朝ペルシャではアルデシール一世Ardeshir 
Papakanらが教育を発展させた。知性に優れた人間がインドやローマ帝国に派遣されてそ
の地の言語を習得し、それらの地の書物をパーレヴィPahlevi語に翻訳するよう命じられ
た。

書物の翻訳に当たった知識人たちを政治支配者は優遇し、特に優れた知識人の名前は統治
者の偉大さを示すシンボルとされ、翻訳の伝統は子々孫々に至るまで維持された。

翻訳活動はそのうちに、ペルシャの主要都市に新たな教育機関の発足を促すようになる。
ジュンディシャプールJundi-ShapurとマアンベイッアルデシリMaan Beit Ardeshiriのふ
たつのアカデミーから、サンスクリット語、パーレヴィ語、シリア語の優れた翻訳者が何
人も輩出した。

ペルシャに入ったイスラムがペルシャの繁栄を目の当たりにしたとき、その繁栄は短期間
に得られたものでなく、長年にわたって続けられてきた学問の重要性に対する政治支配者
の自覚と翻訳家たちの職業に対する粘り強さのたまものであることをかれらは知った。
[ 続く ]