「今は昔、翻訳家の黄金時代(後)」(2019年12月11日) たとえばウマイヤ朝統治者のひとり、在位西暦704〜708年のカリッ・イブン・ヤシ ッ・イブン・ムラウィヤKhalid ibn Yazid ibn Murawiyaはエジプト在住のギリシャ人学 者に巨額の報酬を約束してギリシャ語の書物をアラブ語に翻訳させることを促したと言わ れている。イスラム世界における翻訳活動の発端がそれであるというのが今では定説だ。 アッバス朝統治者のひとり、在位西暦786〜809年のハルン・アラシッHarun Ar-Rasyidは翻訳事業の進歩に積極的な役割を果たした。かれは自分の財産の半分を古代 ペルシャ語からアラブ語への翻訳事業のために費やしたのである。 アッバス朝カリフの中でもっとも影響力の強かったバグダッドの支配者アル・マッムン Al-Makmun(在位西暦786〜833年)はハルン・アラシッをしのぐ知識と学識書物の 追求者であり、ギリシャ語書物を見つけ出して翻訳させることを生き甲斐にしていた。 かれはビザンチンの王レオン・デ・アルメニアLeon de Armeniaにそのための使節を派遣 することまでしている。 イスラム黄金期の翻訳活動推進は翻訳者に対する統治支配者の称揚が示している。たとえ ばフナイン・イブン・イスハッHunain ibn Ishaq(生年西暦808〜没年西暦877)が バイタルヒッマッBait al-Hikmah図書館の監督者に任じられて後、かれが書物の翻訳を一 冊しあげるたびにアル・マッムンはかれに翻訳した書物と同じ重さの黄金を与えていた。 だからジャミル・シャリバが著作「アラブの哲学」の中でイスラム文明誕生の原因を、翻 訳者に対する支配者の称揚並びに翻訳者の粘り強さのふたつが主要因であると結論付けた のも当然の帰結だった。 そのふたつの主要因によってイスラム文明の柱がたくさんの世界レベルの哲学者・医学者 ・天文学者・数学者・法学者を生み出すことになったのである。 アッバス朝イスラム帝国が内部コンフリクトで弱体化し、モンゴル人がバグダッドの街を 破壊したとき、イスラム世界から西洋世界への学問知識の移転が、やはり書物の翻訳を通 して起こった。ヨーロッパにおけるイスラム文明の中心地としてコルドバに集められてい たアラブ語書物のコレクションが全ヨーロッパに学問知識の光を投げかけたのである。 ヨーロッパのみならず世界の研究者・教育者・学生がその光の源であるコルドバを学問知 識の宝庫であり科学進歩の推進センターとして仰いだ。ヨーロッパにルネッサンスと科学 革命のきっかけをもたらしたさまざまなアイデアは、コルドバに由来している。コルドバ のアラブ語の書物に記されてあった諸学問知識を12〜13世紀にラテン語・ヘブライ語 ・スペイン語・イタリア語・カタロニア語などに翻訳したヨーロッパの知識層が新しい世 の幕開けの綱を引いたのである。 < 固いコミットメント > 現代のわれわれが小学校以来吸収している学問知識が翻訳のたまものであることにもっと 意識を向けるべきだ。ところが、くどいようだが、インドネシアの翻訳者は世間から軽視 され、低い報酬に甘んじている。そのために優れた翻訳者がその仕事に全力で打ち込むこ とを困難にさせ、生活の資を得る仕事を優先させて翻訳は片手間仕事という状況に追いや っている。翻訳書のクオリティが向上しにくい原因がそこにあるのだ。 わが民族が学問知識と文明の進歩を真剣に望むのであれば、翻訳家という職業の社会的地 位をもっと高いものにするべく、すべての関係諸方面がそのための努力にコミットするほ かないのである。歴史がそれを証明しているのだから。[ 完 ]