「laborの訳語はたくさんある」(2019年12月12日)

ライター: アッマジャヤ大学倫理開発センタースタッフ、K ベルテンス
ソース: 2003年12月13日付けコンパス紙 "Terjemahan Child Labor"

laborの意味はpekerjaanであり、英語のlaborerがインドネシア語のpekerjaに対応してい
ることは、容易に同意しうるものである。であるなら、child laborのインドネシア語訳
はpekerjaan anakであるという論理の帰結になる。ところがその翻訳は奇妙に聞こえる。

普通child laborはpekerja anakもしくはburuh anakと訳されているのだから。国連組織
のひとつILOはインドネシアでOrganisasi Pekerja Seduniaというインドネシア語名称
が使われ、Organisasi Pekerjaan Seduniaとは呼ばれない。Labor Unionのインドネシア
語はSerikat Pekerjaである。

child laborのインドネシア語訳としてpekerjaan anakが受け入れがたい理由のひとつは、
その表現がngerjain anakという意味に取られ得る点にある。ラテン語の文法用語を借用
するなら、genitivus subjectivusとgenitivus objectivusがごちゃ混ぜになっていると
言える。ラテン語文法でのgenitivusとは所有・由来などを示す名詞の第二変化形のこと
だ。pekerjaan anakをgenitivus objectivusとして理解すると、anakはmengerjakanとい
う行為の対象物となる。反対にpekerjaan anakをgenitivus subjectivusと取るなら、
anakはbekerjaの主体者になる。child laborという言葉は明らかに後者を意味している。

世界最初の民主=社会政党もlaborの語を看板にした。すなわちイギリスのLabour Party
である。ここでわたしはブリティッシュイングリッシュ綴りを使っていることにご理解の
ほどを・・・。そのインドネシア語訳としてわれわれはPartai Buruhという言葉を耳にし
ている。Partai Pekerjaanとはなかなかならないのだ。ところがここで使われている
labourも語義はpekerjaanなのだ。オランダの民主=社会政党がどう称しているかを見れ
ば、わかりやすい。Partij van de ArbeidのArbeidはきわめて明白にpekerjaanを意味し
ている。Arbeiderつまりpekerjaとは言っていない。ウエブスター辞典にせよオックスフ
ォード辞典にせよlaborの語義のひとつに、capitalやmanagementの対照概念として「集合
名詞としての労働者層」という意味があげられている。カール・マルクスの有名なコンセ
プト「capitalは生産性を持たず、laborのみが生産性を有する」という警句を思い出すこ
とになる。資本はそれ自体が生産的でなく、何も生み出さないものであり、労働者層だけ
が生産を行うのだとかれは言う。もちろん、その際に資本が使われるのは言うまでもない。

そのコンテキストでは、われわれはこう語るべきだろう。pekerjaが生産的なのであって、
pekerjaanが生産性を持つわけでもない。ただし、生産性のあるpekerjaanという言葉の意
味は理解することができる。


翻訳がおかしくならないlaborという言葉の熟語はたくさんある。labor costsやlabor 
productivityなどはbiaya kerjaやproduktivitas kerjaと翻訳することができる。それら
は人間なのか行為なのかの選択、あるいは指摘を必要とされていない。ところがchild 
laborとなると、そのジレンマが避けられなくなるのである。その場合、われわれはanak 
pekerjaと翻訳して人間という理解を示すべきだろう。ただし、われわれは時にバリエー
ションを使って行為を示す可能性もないわけではない。つまりpekerjaan yang dilakukan 
oleh anakという訳だ。時々はよいが常にではない。訳文が長くなりすぎるのだから。

もちろん、翻訳の問題よりも倫理的パースペクティブのほうがはるかに重要なことだ。
child laborはいいのか、悪いのか?その問いに答えるためには、child laborの定義付け
をまず行わなければならない。まず子供とは何なのか?2003年法律「労働法」には、
子供とは年齢が18歳未満の者と定められている。しかし9年間の義務教育を終えた子供
(年齢は16歳前後だろう)は、まだ働いてはいけないのだろうか?教育期間を終えた子
供たちが社会に出始める時期を無職・失業状態でスタートしなければならないのでは、た
いへんなデメリットだ。

そして「働く」とは何を意味しているのか?たとえば農業分野で子供が両親を手伝う場合
に、その行為に「働く」という概念を適用することができるのだろうか?ILOをはじめ
とする諸組織はanak bekerjaを厳しく禁止している。しかし第三世界では、状況ははるか
に複雑だ。働くという行為が許されなくなったとき、子供(とその家族)の状況がより良
くなるかどうかは別問題なのである。