「バライプスタカ(終)」(2019年12月18日)

バライプスタカの出版物を民衆に読ませるために、1910年にタマンプスタカTaman 
Poestakaと名付けられた図書館網が作られて、民衆の経済的要因を排除してできるだけ大
勢の目に触れさせる努力が、販売網との二本立てで行われた。販売網は書籍販売代理店と
郵便局が使われて、出版物を遠隔へき地まで届ける努力が払われた。民間一般の出版社は
商品販売をカバーするエリアがたいへん小さく、バライプスタカの力に対抗するのは不可
能だった。


バライプスタカの活動はあたかも、植民地政庁がプリブミ作家の作品を大量に植民地民衆
のための読み物にして世の中に送り出したような印象を与えるものだ。それがために植民
地政庁がバライプスタカという機関を通してインドネシア文学の発展に多大な寄与と貢献
を与えたという評価が存在するのも事実だ。だがそれはバライプスタカに与えられた使命
が作り出した副作用なのである。

植民地制度に反対する反植民地思想の扇動要素を滅却した読み物、あるいは反対に植民地
体制を賞賛する読み物にして出版されなければならない原則は、作品の内容に対する厳し
いチェックから始まり、使われている言語に対する編集と校正も他の民間出版社とは比較
にならない厳しさで行われた。その結果、さまざまな作家の作品は似通った構成と言語ス
タイルになってしまった。

マラ・ルスリの作品「シティ・ヌルバヤ」が体制志向の内容になっていることは、読めば
すぐ判る、とヒルマル・ファリッ氏は語る。かれは歴史家で教育者であり、数年前に教育
文化省文化総局長の要職に抜擢された。もちろんかれは公務員でない。

この作品の悪役はダトゥマリンギであり、政府の徴税政策を覆えすための動きを示し、ま
たか弱いヒロインの幸福を踏みにじる。一方の善役はサムスル・バッリ中尉で、かれはス
マトラの反植民地政庁運動を瓦解させる。バライプスタカにとってこの小説は良書の典型
例なのである。さらにヒロインが男女同権の理想を独白する部分が長々と展開されて、植
民地民衆の西洋文明化をリードしようとする姿勢も明瞭に織り込まれている。


日本軍が蘭領東インドを占領した後、日本軍政はバライプスタカを存続させて軍政監部国
民図書局と呼び、出版印刷機能を利用したようだ。

独立インドネシア共和国の時代になって共和国政府機関のひとつとなったバライプスタカ
は、国語であるインドネシア語の普及に向けて動き出す。過去に出版されたムラユ語の作
品をインドネシア語に書き換えたり、新しい作品をインドネシア語で出版することが行わ
れた。インドネシア語としての語彙や語法あるいは構文などの改正が最初はオパイゼン式
綴りで行われ、その後綴り方(正書法)が改善されるとそれに合わせた変更が行われると
いったややこしい動きが発生したことは想像に余りある。

バライプスタカのムラユ語版作品でインドネシア語版にリライトされたものを読むと、と
きどき綴りの非一貫性を目にすることがある。いくら古典とはいえ、それでは若い読者へ
の訴求力が失墜してしまうかもしれない。


1950年までにバライプスタカは新作とオランダ時代のものの改訂復刻版を128タイ
トル出版し、発行部数は60万3千冊にのぼった。新作の中には、イドルスIdrusのDari 
Ave Maria ke Djalan Lain ke Roma、ウトゥイ・タタン・ソンタニUtuy Tatang Sontani
のTambera、プラムディア・アナンタ・トゥルPramoedya Ananta ToerのDia jang Menjerah
やBukan Psar Malam、モフタル・ルビスMochtar LubisのSi Djamalなどが見られる。それ
に加えてこの時期にバライプスタカは、ドストエフスキー、スタインベック、チェーホフ
など世界的な文学作品の翻訳出版にも乗り出した。

しかし独立インドネシア共和国のバライプスタカが、倫理政策を推進したオランダ時代の
植民地政庁内バライプスタカになることはありえなかった。国民に書籍を読ませるために
巨額の予算が用意されることなど、共和国政府部内文教担当部門にとっては夢物語だ。国
民に正しく善いインドネシア語を教え、英知を与えて国民の知性を高める努力は続けられ
ても、社会環境はそれに応じてくれない。

250万冊の不動在庫がバライプスタカを倒産寸前に追いやった。バライプスタカを生き
延びさせるために政府ができることは、義務教育教科書の独占出版権を与えて経営の安定
を図ることしかなかった、それが成功したことはバライプスタカがいまだに存在し、活動
していることが証明している。教科書独占出版方式はすでに解除されて、今では自由化が
なされている。そして経営危機を乗り越えたバライプスタカもインドネシア出版界の重鎮
として、インドネシア国民の文明化への貢献を続けている。[ 完 ]