「インドネシアの老舗出版社(前)」(2019年12月19日) 印刷技術がヌサンタラの地に持ち込まれたオランダ植民地時代以来、この地に出現した出 版社は千を下らないだろう。現れては消えて行った出版社がその大半を占め、時代の波を 乗り越えて老舗となった出版社は数えるほどしかない。そんな老舗を実現させたひとびと は語る。 「事業を立ち上げたときのことを忘れるな。あのとき抱いた理想を高く掲げ、立ち上げの 根拠を忠実に守って事業を行え。それが何十年もこの業界で生き残るための鉄則だ。」 老舗に数えられるバライプスタカBalai Pustaka、カニシウスKanisius、ディアンラヤッ Dian Rakyat、マジュMadjuなどの出版社がどれほど理想を追い求めているかは、かれらの 出版物が物語ってくれるにちがいない。 ヒルマル・ファリッ氏によれば、インドネシアでプリブミが初めて興した出版=印刷会社 は1904年1月にティルト・アディ・スルヨTirto Adhi SoerjoとアルサッドH.M. Arsad およびウスマンOesmanの三人がバンドンに設立したN.V. Javaansche Boekhandel en Druk- kerij en handel in schrijfbehoeftenで、バタヴィアとバイテンゾルフに支社を持ち、 新聞メダンプリヤイMedan Prijajiを発行した。 このムラユ語新聞は1907年1月から1912年1月まで発行され、その活動組織は監 督者から編集者・記者・印刷部門に至るまですべての分野で全員がプリブミで固められて いた。 それに刺激されてさまざまな組織が出版=印刷活動を行うようになる。たとえばスマラン のサレカッイスラムSarekat IslamはNVシナールジャワSinar Djawaを設立した。出版活 動は比較的容易に増大したが、印刷所は簡単に増加せず、プリブミの出版社もたいていは 華人所有の印刷所を利用するほうが多かったようだ。 出版=印刷会社カニシウスはカソリック系宗教財団カニシウスを母体にしており、191 8年に布教と教育活動を開始したカニシウス財団が宗教活動の便宜向上を図って1922 年1月にヨグヤカルタに設けた印刷所Canisius Drukkerijに端を発している。 この出版社は本来的に宗教活動に必要とされる印刷物を制作することを使命にしており、 経済活動としては成り立たないものだ、と現在の経営者は述べている。それがために非宗 教的な出版物が事業経営のために作られていて、それが十分な利益を生み出しており、宗 教関連印刷物の赤字を補填してなお利益が出ているとのことだ。 カニシウスが抱いている理想はインドネシア民族と宗教の向上に貢献することを基盤にし ていて、民族社会にとって建設的でしかも活性化の一助になる書籍印刷物を世に送り出す のが自らの使命であると位置付けている。 出版社ディアンラヤッも有名な老舗のひとつだ。この会社を興したのは著名文学者で文化 人でもあるスタン・タッディル・アリシャッバナSutan Takdir Alisjahbanaで、かれが1 933年に妻のスギアルティSugiartiと共同で会社を設立したとき、社名はプスタカラヤ ッPoestaka Rakjatだった。 インドネシアで最初のインドネシア語雑誌プジャンガバルPoedjangga Baroeを世に送った プスタカラヤッは1963年にディアンラヤッに社名変更した。スタン・タッディルが出 版=印刷会社を興したのは、当時プリブミの所有する出版=印刷会社がなかったために民 族主義の発露として会社を作り、民族主義的な作品を多数送り出して民族主義を高揚させ ることを理想に掲げたからだ、と現在のディアンラヤッ経営者でスタン・タッディルの娘 のひとりは述べている。 ディアンラヤッの出版物は医学書・法学書・工学書や経済関係の書籍が多く、大学教育で テキストに使われるものが多い。民族の知性を高めていくことが今の時代の民族主義の高 揚のあり方のひとつであるという理解のもとに、この出版社も設立時の理想を守り続けて いると言えるだろう。 もちろん父親の時代にこの出版社はたくさんの文学作品を出してきた。スタン・タッディ ルは毎週日曜日になるとプンチャッのトゥグで大勢の若い文学者たちと会合し、かれが優 れた作品と見なしたものを出版するということをしていたのである。しかし親から子供の 時代へと変化した今、社会情勢も変わり、子供たちは父親の理想に自分たちの考えを加え て事業方針を調整している。[ 続く ]