「ブリタル反乱(4)」(2019年12月19日) ジョノ小団長の部隊はクディリ街道経由でスルガッSrengatに陣取り、クディリから来る 日本軍を阻止すること。またヤルワディJarwadi分団長にグロンドンGrondong橋守備を命 じ、ブリタルから追跡する日本軍の進行を阻止させること。 スパルヨノ小団長の部隊は、アディ・ウィダヤッAdi Widajat分団長に命じてブリタル市 内で、1)監獄の囚人を解放させる。2)サクラホテルを含むブリタル市内の日本人を全 滅させる。3)協力せず、あるいは邪魔をするプリブミ警官を武装解除する。という作戦 を実施させてから、カリプチュンKalipucungでクディリから来る日本軍の阻止に当たるジ ョノ小団長の部隊に合流させる。 ムラディ小団長の部隊はポンゴッPonggok方面に進出し、そのあとパンチュランPanceran の森に防衛陣地を設ける。 第四中団は重機関銃をもって憲兵隊本部と指導官宿舎を攻撃する。スマントSoemanto分団 長の部隊は東方に出てマランMalangの片桐部隊の出撃を阻止する。 アッマジャAtmadja分団長は車両の手配、スヨノ分団長は兵器の手配を行うこと。 24時ごろ、作戦要綱に従って反乱軍は個々に動きを開始した。兵員はひとりあたり15 0発の銃弾と手りゅう弾4個が支給された。全員が忙しく準備に没頭しているとき、スプ リヤディは私服のままで背にクリスを差し、ピストルを手にしてひとびとの中にいた。 準備が整った反乱軍は出撃して行った。ブリタル市内と外部を結ぶ電話線はすべて切断さ れた。午前3時ごろ、サクラホテルに8発の迫撃砲弾が撃ち込まれ、一斉射撃が続いた。 憲兵隊本部では建物正面と西側から重機関銃、北側から軽機関銃の銃撃音が鳴り響いた。 しかしその夜に限って、ブリタルの街中に日本人の姿が見当たらない。サクラホテルも憲 兵隊本部ももぬけの殻になっていた。反乱行動はすっかり日本軍に察知されていたのであ る。反乱軍は日本軍の手のひらの上で踊らされていたということになる。 こうして始まったブリタルの反乱は、他の地域に飛び火することなく鎮圧されてしまった。 この反乱をブリタル大団の反乱と呼ぶ人もあるが、大団という組織が反乱を起こしたわけ では決してない。反乱首謀者の小団長や分団長たちは兵士に対して、反乱に加わるかどう かを本人の自由意思にゆだねた。スプリヤディは大団長に対して反乱に加わるよう誘い、 説得したが大団長はそれを拒否した。拒否した上官を反乱者が粛正するようなことはまっ たく起こらなかった。そうであっても、反乱軍の将兵は360人にのぼったのである。大 団の65%が自由意思で反日反乱軍になったということだ。 日本軍はこの反乱鎮圧に総力をあげた。一号勤務隊を編成して各反乱部隊の抑え込みと解 散に努め、反乱を良しとしない他のPETA大団が反乱軍の戦意を奪い去った。反乱軍戦 闘部隊総指揮官になったムラディ小団長に対して降伏を説得するべくカタギリ大佐が乗り 出し、交渉の末に反乱軍をブリタル大団に復帰させることに成功した。 ムラディ小団長はパンチュランの森に設けた防衛陣地で2百人ほどの兵員と共に抗戦態勢 に就いていた。停戦交渉に訪れたカタギリ大佐や他の将校たちとムラディの間で話し合い が始まる。 戦闘をやめて降伏し大団本部に戻れ、とカタギリ大佐が求めるとムラディは、武装解除を しないこと、取り調べや裁判をしないことを約束せよと日本側に要求した。カタギリ大佐 は即座にその要望を受け入れ、自分の約束に嘘はない、とみずから軍刀を外してムラディ に渡した。そのふるまいは反乱軍将兵や同行した日本軍将兵の眼前でなされている。 ところが反乱軍が原隊復帰してから憲兵隊が反乱者を逮捕し始め、大勢が逮捕されて取り 調べを受け、最終的に78人が軍事法廷に引き出されたのである。ムラディはもちろんそ の中のひとりだった。その成り行きからカタギリ大佐の行為を「サムライの誇りを投げ捨 てた狡猾で卑怯な仕打ち」として非難する声がインドネシアに少なくない。[ 続く ]