「頭とヤシの実は似た者同士」(2019年12月24日)

ライター: 文司、ジャカルタ在住、レミ・シラド
ソース: 2002年2月付けコンパス紙 "Kepala Bulat Kelapa"

huluの語がhilirを伴って述べられれば、それはもちろん高いところから低いところに流
れる水に関する話が意図されている。「ke hulu kena batu, ke hilir kena tengkalak」
ということわざを覚えるときのようなものだ。

ところがhilirを伴わないとき、建物の屋根の上に設けられた装飾的構造物を指すように
意味の変化が起こる以前の、その言葉元来の意味をそれは必ず示している。「orang ber-
pegang pada hulu,awak berpegang pada mata」ということわざを覚えるときのようなも
のだ。

スマトラからスラウェシに至るヌサンタラのほとんどすべての言語でhuluもしくはuluは
人体の首の上にある器官を意味している。それはヌサンタラ固有の言葉で人体の上部にあ
るものを指しているのだ。ところがポルトガル人がマラッカやマルクで16世紀前半に建
物を建ててからすぐに、hulu/uluの語はkepalaに取って代わられた。そこには意味を取り
違えた誤解のストーリーがからまっている。


ポルトガル人の建物には、一番上に装飾を目的にしたドームが置かれている。その最上部
にある装飾用構造物はポルトガル語でクプラcupulaと呼ばれる。その語はイタリア人がク
ポラcupolaという語で建築用語の中に取り込んだ。屋根の上に置かれて通風の便を図るド
ームのことだ。ムラユ人は一番高いところにあるものという意味にその言葉を理解し、人
体の最上部をクパラkepalaと呼んだ。

hulu/uluに代わってkepalaが使われているもっとも古い文献のひとつに、Seri Ramaと題
するグンドゥルアラブ文字(ハラカートの付けられていないもの)で書かれた手書きの書
物がある。

その文献は1663年にロード大司教が手に入れ、1898年にラテン文字化され、19
10年にオックスフォードのボレイアン図書館マレー語部門の所蔵になった。その冒頭の
文章は次のように書かれている。... maharaja Rawana yang sapulu kepalanya dan dua-
pulu tangannya.

アントニオ・ガウヴァンAntonio Galvaoの命によってアンボンにポルトガル人がはじめて
の学校を、クプラを頂くポルトガル人の建築物の間に、設けたのは1535年のことであ
り、クパラの語が記された文献はそれから百年余りが経過してから作られたという時の流
れをわれわれはそこに見出すことになる。


ポルトガル語やイタリア語に由来し、誤解によって意味が変化したままインドネシア語に
なったクパラはさておいて、クパラと似たような大きさと形のクラパkelapaという語の由
来はオランダ語のクラッパーklapperなのである。kelapaの語がサンスクリット語源であ
ることを確証する文献学上の証拠はまだ挙がっていない。きわめて高い頻度で使用された
klapperが昔からあったnyiurの語、あるいはカウィ語のnyuを駆逐したのだ。

klapperが一般化してkelapaになった原因のひとつは、インドネシア風オランダ流行歌の
せいだ。19世紀に流行った流行歌のひとつは第二次大戦後まで歌われた。特に蘭領東イ
ンド植民地軍階層やオランダ人がニャイにした女性たちがよく唄った。klapperとはajoen-
ajoenなのである。(ajoenの現代インドネシア語綴りはayun)

それどころかこの歌は、Storybook Childrenで世界的なポップ歌手の座にのし上がったオ
ランダ人アンドレスまでが1970年代に唄っている。リフレインの歌詞は次のようなも
のだ。
Ajoen, ajoen,in de hooge klapper boom, oh Masmiro.... in de hooge klapper boom.

現在、地元言語の中にklapperを含めてたくさんのオランダ語を残している唯一の海岸都
市はマナドだ。Nyiur Melambaiで形容される北スラウェシの州都マナドの定番お土産は言
わずもがなの、klapper taart、つまりクラパタルト。