「クラパとクパラの語源」(2019年12月26日)

ライター: 言語オブザーバー、デポッ在住、アヤトロハエディ
ソース: 2002年3月9日付けコンパス紙 "Lagi-lagi soal Kelapa dan Kepala"

この欄で二週間前にレミ・シラド氏が表明したクプラやクポラに関する論説に、ポルトガ
ル語もイタリア語も知らないわたしがコメントをさしはさむ気は毛頭ない。しかしそこで
述べられたkepalaとkelapaの語源について、わたしは黙っていられない。その論説内の、
クパラがポルトガル語源でありクラパがオランダ語源だという主張が妥当でないようにわ
たしには思われるのである。特にヌサンタラ住民の文化とヨーロッパ諸民族の文化の間で
起こった接触についての歴史を見る限りにおいては。


歴史学や考古学を深めたひとたちによれば、ヌサンタラ住民と外国人の間の文化接触の歴
史はまずインド人に始まり、中国人、アラブ人、そしてその後にヨーロッパ諸国人が登場
した。ヨーロッパ人の筆頭は16世紀初めにやってきたポルトガル人、そしてオランダ人、
さらにイギリス人となる。

かれら歴史学や考古学の専門家たちは、主にサンスクリット語で書かれた石碑・焼き物・
碑文などに残されている文献を取り上げた。もっと後にヌサンタラの諸種族がムラユ語、
ジャワ語、スンダ語、バリ語などを使って書き残した碑文、さらにはそれらの言葉で書か
れた文書、にサンスクリット語の影響が強く現れている。

スワデシュSwadeshによれば頭(kepala)は基本単語のひとつであり、地上のどの言語であ
ろうが頭という概念を意味する単語を持たないものはない。ヌサンタラの諸語も元々は
huluあるいはそれに似た発音の単語を持っていた。インド文化との接触が起こったとき、
ひとびとはさまざまなサンスクリット語彙をさまざまな理由で吸収した。頭を意味するサ
ンスクリット語彙にはkapala, mastaka, sirahなどがある。

たとえばkapalaという単語はウィロトパルウォWirataparwa23.9に出てくる。remek 
kapalanya sumirat uteknya(現代インドネシア語訳remuk kepalanya berhamburan otak-
nya)、タントゥパングラランTantu Panggelaran105,11にある、kapala ning wwang 
pinakatahapan ira(現代インドネシア語訳kepala orang sebagai pijakannya)、タント
リカマンドコTantri Kamandaka84.5、remuk kapalanya, kari balung kapalanya(現
代インドネシア語訳tinggal tulang kepalanya)などのように使われていて、それらの作
品はすべてヨーロッパ人がやってくる前の時代に書かれたものだ。


kelapaについてレミ氏はオランダ語klapperに由来していると説くが、論理の逆転の可能
性はないだろうか?誰でも知っているように、オランダは北半球北部にあって赤道地帯に
あるヌサンタラとは反対であり、あの土地でヤシの木は大衆的植物ではない。植物学専門
家は熱帯地方の特産物をバナナ・竹・ヤシの三つだとしている。ヌサンタラのひとびとは
オランダ人がやってくるはるか以前からヤシを知っていたはずだ。その証拠は;
スモノソントコSumanasantakaの書149.22、kadyanutuh kalapa denya mamoki ten-
das(現代インドネシア語訳bagaikan menebang pohon kelapa, ia memukuli kepalanya)、
ロンゴロウェRanggalawe1.107、wwah eng kalapa wilis(現代インドネシア語訳
buahnya kelapa hijau)、サカ暦939年(西暦1017年)のOJO碑文38No.11、
lenga watu sukat 1 kalapa 20(現代インドネシア語訳minyak batu 1 sukat kelapa 20 
butir)などが示している。

トメ・ピリスTome Piresは1513年の東方諸国記Suma Orientalの中で、スンダ王国最
大且つ最主要な港市はKalapaだ、と書いている。オランダ人コルネリス・デ・ハウトマ
ンCornelis de Houtmanがバンテンに上陸したのはその83年後のことだ。ヌサンタラの
多くの言語がその物をnyiurあるいはnyu(h)という語で認識していたのはその通りだ。だ
からと言って、すべてがnyiurやnyuhしか知らず、他の言葉が混じりこんでいなかったと
いうことは言えないだろう。kelapaの語がそのサンプルだ。

言語学者の中には、kelapaという語はambilを意味するalapに関わっていると考えている
者もある。kalapaとはbuah yang harus diambilということなのだ。kelapaという語彙が
サンスクリット語源であるという説に疑念を抱くレミ氏の姿勢も無理はない。今日現在
に至るまで文献学上の確定データが見つかっていないのだから。もしkelapaがalapから
できた単語であるなら、それはヌサンタラオリジナルの語彙ということになる。

オランダ語のklapperという語がkelapaを指す言葉に使われているのも本当だ。しかしヤ
シが熱帯性植物であるという事実を見るかぎり、オランダ語のその用法はヌサンタラの言
葉がそこに吸収された可能性を示しているのではないだろうか?テーウ博士Dr A Teeuwは
ヌサンタラの語彙がオランダや他のヨーロッパの言語に取り込まれた事実を指摘している。
amok(amuk), makasar(kasar), pady(padi)などのように。