「ヤシの木に雪が積もるか?」(2019年12月30日)

ライター: インドネシア大学オランダ学科教官、ムニフ・ユスフ
ソース: 2003年4月26日付けコンパス紙 "Salju dan Kelapa"

クラパ問題に関して、レミ・シラド氏はアヤトロハエディ氏との論争にまだ決着をつけか
ねているようだ。オランダで小説執筆中の文司は三週間前のこのコラムに、一年前に両者
の間で起こった論争をまた持ち出してきた。

2002年2月末のこのコラムでレミ氏はkelapaの語源がオランダ語klapperであると述
べた。その二週間後にアヤトロハエディ氏が反論した。デポッ在住のかの文司は、論理の
逆転が起こっているのではないかと指摘した。ヤシが北半球北部にあるオランダの大衆的
植物でないことを考えるなら、オランダ語の方がその熱帯性植物の自生しているヌサンタ
ラの単語を取り込んだのではないのだろうか、と。

年が変わってこの4月の初めにレミ氏は雪の話題を取り上げて、クラパはオランダ語源な
のだと再主張した。かれはklapperとsaljuの類比を行ったのである。

インドネシアで雪はパプアのある高峰の頂を除いてどこにも存在しない。ある土地にその
物が存在しなくとも、その土地で使われている言語の中にその存在しない物を示す言葉が
あるのは何らおかしなことでない。インドネシア語の中にsaljuの語彙があるのなら、ヤ
シの木klapperboomが自生しないにもかかわらずオランダにもklapperの語彙があって不思
議ではあるまい、と。

残念なことに、レミ氏はsaljuの語がインドネシアの固有語彙でないことに気付いていな
いようだ。saljuの語源はアラブ語のtaljである。冬という季節を持つヨーロッパの言語
からでなくて、酷暑の砂漠地帯が大部分を占める土地の言語からインドネシアが雪という
言語を吸収したというのは実に奇想天外な話だ。だがそれには理由がある。

イスラム教がsaljuの語をわれわれに伝えたのである。ムスリムはみんな礼拝の前に水で
身体の特定部分を洗い清めるウドゥwuduを励行しなければならない。そのとき使ってよい
水についての定めがあり、雪からできた水は使ってよいのである。


レミ氏の別の論拠では、klapperの語は15世紀以来オランダ語の語彙のひとつになって
いるというものがある。それは正しい。しかし慌ててはいけない。1961年発行のファ
ン・ダーレvan Dale辞典966ページにあるklapperの語義は、sesuatu yang meledak,
kembang api; pengoceh,pembual; kelapaと記されている。

その辞典は20世紀に出されたものだが、klapperのその三つの語義はホモニミーhomony-
my現象を示している。ひとつの単語の意味が変化したものでなく、元々は同形の異なる単
語だったようだ。15世紀にオランダ語の中に使われたklapperの意味が本当にkelapaだ
ったのか?別の意味に使われていたのではないのだろうか?ヤシという物をまったく知ら
なかったのにklapperという語をそれの名称として使おうと先に言葉を用意するほど、オ
ランダ人の創造性は並外れたものだったのだろうか?


インドネシア語は外国からの語彙をたくさん吸収して出来上がっていると見なす傾向が存
在している。外国語の吸収は言語接触によって授与言語から受容言語に取り込まれるとい
うメカニズムだ。そこには優勢な言語と劣勢な言語という関係が生じる。

言語吸収現象における優勢な言語は往々にして授与者言語と思われているが、確かに量的
な面でそれは正しいというものの、時には劣勢言語にある語彙が優勢言語のボキャブラリ
ーに影響をもたらすこともある。インドネシア語は英語・サンスクリット語・アラブ語・
ポルトガル語・オランダ語との接触において、劣勢言語の位置にあった。

オランダ語との接触においては、フレンスCD Grijnsらが1983年に著したEuropean 
Loan-words in Indonesian: A Check-list or Words of European Origin in Bahasa 
Indonesia and Traditional Malayによれば、インドネシア/ムラユ語にはオランダ語が
5千4百取り込まれ、オランダ語はインドネシア語を3百取り込んでいる。

オランダ語に取り込まれたインドネシア/ムラユ語には何があるのだろうか?1989年
のファン・フェーンPAF van Veen著Etymologisch Woordenboek: De Herkomst van Onze 
Woordenは次のようなものを挙げている。senangつまりインドネシア語そのままのsenang。
piekerenはpikirを強めたニュアンスのberpikir keras。soesaはインドネシア語susah。
klapperはkelapa。

パプアのある高峰の頂でヤシの木のてっぺんに雪が積もっている光景にわれわれは憧れを
抱く。そうなれば、ただ単に雪のためにKLMに乗り、高い飛行機代をかけてアムステル
ダムまで飛んでいく必要はない。