「サルジュの原初はヘブライ語」(2019年12月30日) ライター: 文司、ジャカルタ在住、レミ・シラド ソース: 2003年5月17日付けコンパス紙 "Salju" 「何はともあれ引っぱたけ。理由はいらん。」は既にインドネシアのスタイルになってし まった。インドネシア大学オランダ学科教官ムニフ・ユスフ君が雪に関する文章に関連し てわたしを引っぱたいたのが、おおよそそのスタイルのようだ。 かれはわたしの提示した前提を適正なロジックでとらえなかった。ある言語の中の語彙は 地理的条件のためにその語が示す現物の存在がなくとも理解されうるものだというのがわ たしの提示した前提なのだ。 つまり、インドネシアの地理的条件が冬の季節を持つ国々と異なっているために雪がその 地のどこにも存在しなくても、オランダ語sneeuw、ドイツ語Schnee、フランス語neige、 英語snowなどと同じようにsaljuという単語はインドネシア語の中に存在し得るのである。 サルジュの語がどこから取り込まれたのかは問題でない。なぜならわれわれの祖先がさま ざまな土地からの移住者であることをわれわれは否定しないのと同様に、それはインドの ネシアにある言語だということなのだから。 インドネシア大学教官君がsaljuはアラブ語のtaljが語源であり、「酷暑の砂漠地帯が大 部分を占める土地の言語からインドネシアが雪という言語を吸収したというのは実に奇想 天外な話だ。」と述べたこと自体が自分の見解をみずから打ち崩しているということにか れは気付いていないようだ。 saljuがアラブ語源であるのは、多分正しいだろう。しかしインドネシア大学教官君がア ラブ語を学んだのであれば、正しくはtaljでなくてtsaljであることを知っているべきだ。 アラブ文字のtaは点が二個であり、tsaは点が三つ付く。 更に、あまり慌てないで、もう少し落ち着いて考えるなら、tsaljの語が示すものは本質 的にihdatsul jaww(天上の現象)でありal-atsarul-ulwiyyah(高位のことがら)を成す 知識に関する科学的論議であることがきっと判ったはずだ。それはアリストテレスの著書 「気象論Meteorologica」を元にアラブの哲学者や思想家が継続した天文学上の現象に関 する研究なのである。 ヒジュラ暦の初期からアリストテレスの理論がアラブの学術界に正しく受け入れられてい たことは特記されるべきことがらだ。アラブ語でUtsulujiya Aristhathalis と呼ばれる アリストテレス神学はプロティヌスPlotinus(As-Syaikhul-Yunani)が発展させ、ポルピュ リオスPorphyry/Firfuriyusに関連付けられてヒジュラ暦220年(西暦833年)にキ リスト教徒のアブドゥル・マシ・ナイマ・アルヒムシAbdul-Masih Na'imah Al-Himsiがア ッバス朝カリフのアルムタシムAl Mu'tasimの依頼によって翻訳した。 tsaljの語はヘブライ語のsyalaj,sheleg,sheldj,syalj,などが文献に登場してから2千年 後にやっとアラブ語文献に出現したことをインドネシア大学教官君はよく調べていないよ うだ。tsaljの2千年前に筆記されたsyalajの文献はモーセのトーラーの第二の書「出エ ジプト記」Ve'elle-shemothの第四章第六項だ。 そのような状況を見るなら、アラブ語はアラブ民族の地理的領域の外にあった諸言語の往 来にきわめてオープンであり、文学表現に使われたものまで含めてさまざまな語彙をカバ ーしていたことがわかる。 現代アラブ文学は酷暑の砂漠地帯であるアラブ民族の土地でなく、カリル・ジブラン Khalil Gibranやミカイル・ヌアヤマMikhail Nu'ayamaたちアラブ知識層によるペンリー グAl-Rabitah Al-Qalamiyahを通して米国で発展している。ヌアヤマの有名な詩には落ち 葉が描かれて、英語の語彙であるオータムの映像が脳裏をよぎる。 もしあなたがカイロへ行けば、アラブ語になった英語をメインにするたくさんの外国語に 触れることができる。アラブ語は依然としてオープンな言語なのだ。 buftekはbeefsteak、baybはpipe、kekはcake、kafitiryaはcafetaria、subir markitは supermarket、al-tualitはtoilet、bisiklitはbicycle。 生きた言語の正しい姿を知って井の中の蛙にならないために、アラブ語を学びにカイロへ 行くのは良いことだ。そのときは、KLMなど使わないでガルーダ航空に乗ればよい。