「人材開発は国民教育から」(2020年01月13日)

2019年9月11日付けコンパス紙への投書"Pembangunan SDM"から
拝啓、編集部殿。das sollen(あるべき姿)とdas sein(実態)の比較は法曹界に関連す
る諸問題の中でよく登場しますが、わたしはここでその用語をジョコ・ウィドド大統領の
人材開発への決意に関する論説に使いたいと思います。

2019年8月16日付けコンパス紙には相互に関連するふたつの記事が掲載されました。
ひとつは「ムルデカの均等化」と題する社説、もうひとつはユディ・ラティフ氏の「ムル
デカ人間を作り上げる」という論説です。

そのいずれもが、独立の理想達成、すなわち平等で繁栄する社会の実現、に邁進するよう
にという民衆のジョコウィ大統領への期待を述べています。社説では、最後にコルプシ撲
滅の闘争が強調されており、その面でのコンパス紙の努力にわたしは謝意を表明します。
それらはすべてdas sollenです。das seinはどうなっているのでしょうか?


ユディ・ラティフ氏は教育者のクオリティの重要さに触れています。それは全国の教員の
レベルを高めることでのみ実現されるものです。教員という職業が高いプレステージと社
会的尊敬を与えられ、そして高額の報酬を得ているフィンランドと日本の状況をかれは例
にあげました。

フィンランドでは、教員は優秀な大学を卒業しなければなりません。しかしそのことだけ
でフィンランドが世界最高の教育システムを持てたわけではありません。教員養成訓練は
病院で医師の養成訓練がなされる方式に似ています。

インドネシアで教員は尊敬される職業ですが、待遇は悲惨なものです。非公務員教員への
報酬の低さは公然の秘密になっています。


今、人材開発を進めるにあたって、教員の待遇を妥当なものにしなければなりません。コ
ルプトルが奪っている教員の権利についてのデータをコンパス紙はあからさまにすること
ができるでしょう。政府が現場の教員寄りの政治意志を持つことで、インドネシアの教員
のレベルははるかに向上するでしょう。民族の建設における教員の役割を活性化させるこ
とのできる教育大臣をわれわれは必要としているのです。

人間を作り上げることはインフラ建設のように簡単にできるものでないことをユディ・ラ
ティフ氏は説明しています。ジョコウィ大統領はあるインタビューの中で、教育は他の何
よりもまず倫理道徳から開始されるものであるという、実に適切な見解を述べていました。
[ ジャカルタ在住、ハディスジョノ・サストロサトモ ]