「民族を利口にする?(前)」(2020年01月14日)

ライター: パラマディナ大学教育改革研究所理事、モハンマッ・アブドゥゼン
ソース: 2015年10月24日付けコンパス紙 "Perihal Mencerdaskan Bangsa"

不平等はあまりにも永く行われてきた。人間の理性はそれに従って、紆余曲折して成育し
た。思考は歪んで卑小なものとなり、意志は弱々しく垂れ下がっている。(ブンカルノ1
956、「インドネシアは告発する」129)

上の文章はオフスタ・デ・ヴィッツ著「東インドの自然と人間」の中に記された、スカル
ノが植民地法廷で行った弁護人冒頭陳述からの引用だ。

帝国主義の悪影響は経済でなく、植民地主義者が常に求めている原住民精神構造つまり劣
等感により深く表れる。その種の思考の頽廃は民族にとって最大の災厄なのだ、とスカル
ノは続ける。

独立インドネシアの経営にとって健やかな思考の重要性を建国の父たちは十分に認識して
いたため、民族生活における知性の啓蒙は国家目標のひとつに置かれた。独立という環境
下における国民育成ミッションとしての篤信さや敬虔さおよび高邁な言行、あるいは人格
形成といったものが選択されたのではなかったのだ。思考の開明化は民族の将来における
人格形成・進歩・威厳の核をなすものだとかれらは考えていたように思われる。

教育がその中心に位置する。改正前の45年憲法第31条は国民ひとりひとりに教育を受
ける権利を与え、国に対してひとつの国民教育システムを実施する義務を与えている。し
かし独立70年を経過した今、わが民族の開明度が進展したようには見えず、それゆえに
わが民族は理想からまだまだ遠いところにいるのが実態であることをさまざまな事実が示
している。

国に保護されているという安全感覚は弱い。自然や地域が有している資産に対する保護も
適切なものになっていない。国民の繁栄のために最大限の活用がなされるべきものとして
空と海と陸地をわれわれが掌中に百パーセント掌握する状態にはまだ至っていないのだ。

スシ・プジアストゥティ海洋漁業大臣が行っている諸政策は、いかに膨大な海洋資源が盗
まれており、その保護システムがどれほど貧弱であるかということを日増しに明瞭にして
いる。設備の不足不適切だけが問題なのでなく、従事する人員の数と精神性も不十分であ
り、弱いのだ。国家の富と安全感を蝕む悪事や陰謀に公職者が噛みこんでいることも稀で
ない。

貧困者人口もまだ大きい。2014年9月の中央統計庁データによれば、27,727,780人、
つまり国民の10.96%が貧困者である。貧困ではあっても、ほとんどのインドネシア
人は幸福であり民主的であると感じている。2014年のインドネシア幸福度指数は0〜
100スケールの68.28ポイントであり、各地方ごとのデモクラシーインデックスは
全国平均が73.04ポイントになっている。このデータを見るなら、一面でインドネシ
ア人の幸福は豊富な資源を根拠にしていないと見ることができるが、他面ではこのデータ
が上に引用したスカルノの言葉を裏付けていると解釈することもできる。つまりあまりに
も長期にわたって暴虐や不平等の犠牲となり、思考は歪み、更には無感覚に陥ってしまっ
たために、自分は悲惨な状況に取り巻かれ、それは間違った状態なのであるということが
分からなくなっているのだ。

< 保守主義の魅力 >
わが国の教育は昔から今日に至るまで、あらゆる形態における聡明さのベースとして健全
な思考の開発を優先させるよう真剣に作り上げられたものでない。教育の方針や目的はい
つも、政治支配層にとってのメリットと共に保守主義の魅力にまとわりつかれている。

改訂1945年憲法第31条第(3)項の条文である「政府はひとつの国民教育システム
を実施し運営する。篤信さや敬虔さおよび高貴な言行を向上させて民族生活をより英明な
ものにするために、・・・・」には保守主義がちらついている。

国民教育システムに関する2003年法律第20号の教育の機能についての第3条も同様
だ。「国民教育は、能力を開発し、英明な民族生活を建設する中での、威厳ある民族の性
格と文明を形成する機能を有する。」

そのふたつの文に見られる論理の構造と流れは不自然であり、それどころか逆転が行われ
ている感触をもたらす。それゆえに、その思想を教育活動の基盤として理解するのは困難
なのである。篤信さや敬虔さ並びに高貴な振舞い、および高邁な性格は英知の育む集積効
果なのであって、であるがゆえに教育の主目的となるのは賞賛されるべき性質や性格を形
成する中での知性の向上だということなのである。[ 続く ]