「イ_アのインテリゲンチャー(1)」(2020年01月24日)

ライター: 社会学者、イグナス・クレーデン
ソース: 2016年2月19日付けコンパス紙 "Inteligensia Indonesia"

インテリゲンチャーを平易に説明するなら、社会の改革と革新の前衛を担う知識階層とい
うことになる。その一方で、価値・規範・文化ビヘイビアを守護する砦としてのリテラシ
ー階層もいる。かれらは伝統の中に組み込まれている本来的なものに従って文化上の、特
に芸術や文学における、諸価値や形式を維持保存することを使命と考えているひとびとだ。
その反対にインテリゲンチャーは、新しい世の中を形成するための前提条件として、伝統
を改善するのに必要な別の可能性を探るために伝統の限界を打ち破るのを使命と考えてい
る。

インドネシア語としての新たな可能性を開こうとしていたスタン・タッディル・アリシャ
ッバナSutan Takdir Alisjahbahaがムラユ語文法に忠実でなければならないと考えるムラ
ユ語教師たちと議論したとき、インテリゲンチャーとリテラシーの論争が起こった。文化
論争における論敵との議論でも同じことが起こった。かれは伝統の中にある古い文化を前
インドネシア文化として置き去りにするよう説いて、西洋文化のエトスを踏まえた新しい
インドネシア文化の形成を提案するインテリゲンチャーとしてふるまったのである。

かれの姿勢は、伝統というものは何世紀にもわたって機能してきたものであり、同時に西
洋文化はインドネシア文化を損なう可能性をはらむ激越で不適正なものだという理由から
インドネシア文化の中にある伝統の重要性を高く位置付けているリテラシー層の反発を引
き起こした。

スタン・タッディル・アリシャッバナはひとつの例にすぎない。20世紀最初の十年以来
の蘭領東インドにおける民族運動の勃興はインテリゲンチャー層が動かしたものだ。カル
ティ二Kartini、スカルノSoekarno、ハッタHatta、シャッリルSjahrir、タン・マラカTan 
Malaka、チョクロアミノトTjokroaminoto、ハジ・アグッ・サリムHaji Agus Salim、サム
・ラトゥラギSam Ratulangiなどの民族の父や母たちは植民地政庁の倫理政策がもたらし
た西洋式教育によって生み落とされたインテリゲンチャーだったのである。そしてかれら
は伝統的植民地政策原理だった安寧と秩序rust en orde、すなわち全植民地領域における
平穏無事で秩序だった住民生活、から離れようとした。インテリゲンチャー層はあらゆる
方法を用いて、安穏で秩序だった社会という理想は、平穏と秩序の実現に責任の一端を担
うよう原住民に感じさせることで、自分たちが蒙っている大量の悲惨・不公平・搾取・恥
辱に意識を向けさせないようにするための麻薬なのだということに民族の目を開かせよう
とした。

さまざまなセクターで行われている不公平と差別が示された。社会生活では就労分野でヨ
ーロッパ人・東洋外国人・原住民の間に人種差別による不平等が設けられ、その差別の実
態に人種階層型労働分割という学術的な名称が付けられて大勢の大衆は麻薬に酔った。経
済分野では、市場経済が原住民経済の調和を乱してはならないことを理由にして、村落部
住民にとっての安定経済のために輸出指向の植民地経済は自給自足型の原住民経済から切
り離されるという二重構造が作られた。

言語の分野でも、原住民貴族層の子供たちにはオランダ語を学ぶ機会が与えられたものの、
日常生活では原住民がオランダ人トアンたちに対してオランダ語で会話することは禁じら
れ、通俗的ムラユ語Bahasa Melayu Pasarを使うよう強いられた。まるでオランダ語を原
住民に使わせるのはもったいない、汚れになる、といった雰囲気だ。政治面では全国各地
の諸王国支配者たち・王族貴族間・庶民の間に向けて企まれた衝突と競争を通しての分割
統治divide et impera政策が推進された。教育は経済力のある原住民、貴族や地位を持つ
有力者の子弟だけが対象にされ、そこでは原住民の慣習である父権制度の影響が働いて、
女子教育は厳しく制限された。

< 民族意識 >
自らが自己を統制し決定するということにおける一民族の諸権利が失われ、自己の運命を
異民族の手に委ねているのがあらゆる悲惨・不公平・搾取・恥辱を生み出している源泉で
あるというのが、われらがインテリゲンチャー層の結論だった。民族意識が徐々に育って
行った。[ 続く ]