「独立に貢献した脱走兵(1)」(2020年01月24日)

日本が連合国に無条件降伏して日本の敗戦が明らかになったあと、インドネシアの各地に
あった日本軍の軍営から日本軍将兵の姿が消えることが相次いで起こった。軍隊という組
織からの脱走・逃亡行為は、どこの国でも極刑にあたいする。脱走兵というのは、その民
族にとっての恥辱と考えられていたためだ。

日本軍からの脱走兵が行き着くところは、誕生したばかりのインドネシア共和国人民保安
軍しかなかった。経験と人材の層の薄い共和国軍は、前歴がどうであれ外国人義勇兵を歓
迎した。

ある公表データによれば、日本敗戦後インドネシアの独立を維持するための戦闘に参加し
た元日本軍人は903人で、そのうち243人が戦死、288人が戦闘中の消息不明、そ
して2000年代に入ったころのデータでは45人が帰国し、324人がインドネシア国
籍を取得してインドネシアでの居住を続けたとのことだ。

日本の敗戦とインドネシアの独立というあの時期の社会情勢の中で、逃亡兵が人間の海原
のような原住民社会に紛れ込むことなど決して容易にできるものではない。ましてや前歴
が支配者然としてふるまってきた日本軍人であるなら、海原の中にどれだけの人間が支配
者に対する怨恨や憎悪を抱いて暮らしているのか知れたものではないのだから。ドラマ映
画に描かれているような生易しいものになるのは、髪の毛一筋の幸運に恵まれた人間だけ
だっただろう。

脱走兵を歓迎し、保護し、生き延びる場を与えてくれる組織は共和国の軍隊しかなかった
のだ。もちろん脱走兵の中に、それを目的にして自己の人生の場を選択した人間もいた。

しかし一説では一千人とも一千五百人にのぼるとも言われている残留日本兵のすべてが、
インドネシア共和国の創生を願って脱走兵になったわけでもない。だが脱走の理由が何で
あったにせよ、共和国軍に加わった者たちにとっては、イギリスやオランダが繰り広げる
軍事行動に対抗してインドネシアのプリブミ兵士と肩を組み、一緒になって戦闘の矢面に
立ったことだけは事実なのである。かれらの動機はさまざまだったとインドネシア人歴史
家は物語る。

連合国が行うに決まっている戦争犯罪者裁判から逃れたい者、敗残兵となって日本に帰国
する恥辱に甘んじることがどうしてもできない者、戦火に荒廃して滅亡の淵に追いやられ
た祖国に戻っても何をして生きて行けばよいのか分からない人間、ましてや進駐軍の支配
下に置かれた祖国で敵として戦った人間がどのような仕打ちを受けるか知れたものではな
いという惧れを抱く者。中にはインドネシアの女を愛して、その愛に自分の一生を捧げよ
うとした男がいなかったわけでもない。

調査結果によれば、数年間のインドネシア暮らしの中で原住民女性との間に愛情が芽生え、
その愛を捨て去るのにしのびず、女の祖国の側に立って戦闘の場に臨むことを選んだ男た
ちのほうがマジョリティを占めたという説もある。

インドネシアの民と山河を愛し、植民地支配者がもたらす悲惨を赦すことのできない正義
感から銃を持ち、戦闘の中で散って行った歴史に名を遺す男たちとかれらの間に、決して
大きな開きはないだろうとわたしは思う。異国の異性を愛するというのは、相手の民族と
文化への親近感と心的傾斜を必ず強めるものであるからだ。[ 続く ]