「イ_アのインテリゲンチャー(2)」(2020年01月27日)

政治学者ベン・アンダーソンBen Andersonが世界中の社会学者の間で名を揚げたのは、大
部分の構成員が相互に会ったこともなく知り合いでもないにも関わらず、同一の政治コミ
ュニティの構成員であると互いに感じている想像の中の実体が民族というものであると定
義付けたことによる。しかしスカルノはそのずっと以前に異なる思想から出発して、オッ
トー・バウアーOtto Bauerの「民族は運命共同体から生じた性格共同体である」との定義
を抱いていた。

民族は運命共同体から作られ、それは民族にひとつの性格を与えるというのがスカルノの
思想だ。ベン・アンダーソンが提起した学術的理論的論議がいかほど興味深いものであっ
ても、民族とは想像の中の政治コミュニティだという理解を揺れ動いているひとつの民族
に対して持たせ得たとして、それによって民族精神が湧き立つはずはない。スカルノの見
解においては、政治コミュニティに関するイマジネーションから民族が生まれることはあ
りえず、最終的に同じ性格と同じ意欲をもたらす共通の悲惨と共通の運命という体験から
民族は生まれるものなのである。

こうして、自分自身を統制する一民族としての権利、ならびにそのあり方によって独立し
た民族と国家として他の諸民族と対等の尊厳を築くべく、解放と一体化した国民意識の構
築のためのさまざまなイニシアティブが生じた。ハッタとシャッリルは、植民地行政官僚
に代わって新政府行政を担う技術力と管理力をつけさせるために中堅幹部を教育するため
の講座を開いた。民衆の心を揺るがす演説を通してスカルノは、分裂し反目し合うよう仕
向ける植民地主義者の手練手管を無能にさせるフィールドとして、また同時に政治勢力と
しての大衆動員の受け皿として、すべての民族集団が合体することの必要性を強く呼びか
けた。

カルティ二は手紙を通して女性のための解放の扉を開き、女性に対する教育の推進に貢献
した。タン・マラカは農園労働者の子供たちに学校を設けて、農園労働者は農園所有者で
あるトアンブサールたちの資本金と同じ重要性を持つ生産ファクターであるから、現行法
が示す平等原理に基づいて農園所有者は労働者を擁護する意志と力を持たなければならな
いことを教えた。チョクロアミノトとアグッ・サリムは、イスラムは平等と公平を高く位
置付けているので、差別され虐げられている者たちに保護を与える場となること、そして
また宗教は外国人勢力が冒すことのできない神聖な場であることをムスリム層に教えた。

もちろん、1930〜40年代のインテリゲンチャー層だけがインドネシアに独立をもた
らしたと言うことはできない。独立の闘いに加わった集団はきわめて多様性に富んでいた。

革命的青年層、宗教指導者層、商人階層の中でもサレカッイスラムに所属した商人たち、
ゲリラ戦士たち、労働者や農民階層。だがインテリゲンチャー層が民族と独立についての
最初のインスピレーションを与えて、闘争の道程を絶えず導いたのだ。政治的独立・文化
面の独立・経済的独立・言語面での独立そして保安と防衛面における独立の必要性に民衆
の目を開かせたのはかれらだった。スディルマン将軍は一教師であり、インテリゲンチャ
ーのひとりであり、その上で武力闘争における英雄として輝いたのである。

< インテリゲンチャーとは何で誰なのか >
知識人や学術者のすべてがインテリゲンチャーの役割を果たすわけではない。古典中国王
朝の高級官僚層は文学的人文学的な面で高い教育を受けた知識人階層である。かれらは文
学と文化に関する深い教養を持っていたが、その知識は古典中国行政府内に設けられた9
階層の官僚機構のどこかに本人が置かれるための必須条件だった。かれらはインテリゲン
チャー層でなく、リテラシー層だったのである。

西洋知性史においては、ロマン派時代の影響下にフランスのルソーを筆頭唱道者として啓
蒙時代の合理性から脱け出た新ブルジョワジー社会を基盤に置く階層が出現する。かれら
は社会学者カール・マンハイムKarl Mannheimが名付けた自由に浮動するインテリゲンチ
ャになった。かれらはグラムシGramsciが説くところの有機的知識人、つまり所属する階
級の願望を定義付けて階級のスポークスマンになる者ではなかった。[ 続く ]