「習慣を変えないインドネシア人(後)」(2020年01月31日)

最初は環境への反応がひとの示す振舞いとなる。環境に対して示される振舞いの効果が顕
著であれば、その振舞いが継続される。同じ振舞いが繰り返されることによって、それは
環境に対する反応方法というひとつの規範の位置に置かれる。反対に環境に対する効果が
不明瞭であったり、環境への影響が一貫性を示さない場合、その振舞いは中止される。一
貫性のない状況に置かれるとひとは昔の振舞いを持ち出したり、あるいは状況に流される
ままになる。

一貫性に欠ける傾向を持つインドネシア社会では、期待される新しい振舞いが形成される
ことは稀だ。一貫性のない決まりをひとは無視するようになる。そんな状況の中で決まり
に反するさまざまなインドネシア人の習慣が維持され続けるのは自然なあり方になる。種
々の決まりが一貫性を持たないとき、状況は行為者の責任を求めていないのだという理解
がなされがちだ。そんな状況下でひとは、何をするのが一番良いのかということを考える
のに倦み、習慣的な、あるいは自分の価値観に応じた振舞いを選択するようになる。

非一貫的で多義的な状況は決定を下す場での近道志向精神を人間に植え付けがちであり、
自分が示す振舞いについてももちろんそれが起こる。近道志向精神は決定を下す際に、好
み、価値観、確信、伝統、ステレオタイプ、希望、権威など使えるかぎりのありとあらゆ
ることがらを規準に据える。それら多様な規準は習慣が形成されるときにも機能する。だ
から近道志向精神は種々の習慣にひとを連れ戻す傾向を持つのである。


非一貫的な状況の中で近道志向精神が使われることは、状況とその中にある種々の変化に
対する意味付けに影響を与える。非直接的で明白な危険を伴っていないかぎり変化は自分
の持っている精神的な諸規準に合致していると意味付けられる。その諸規準は思考の中で
組み合わされて理論となり、あるいはさまざまなことがらを分類するために使われる思考
の枠組みとなる。その理論は同一文化を背負う人々の間での共通観念になりうる。その思
考の枠組みを用いて変化は既存の習慣や思考方法に照らし合わされ、最終的に何も変更し
なくてよいという結論に至るのである。この種のメンタリティは大勢のインドネシア人の
内面で優位を占めているように見える。

それらの要素が強まると、状況が変化してもたくさんのインドネシア人の振舞いが変化し
ない事態が出現する。それは良くない現象だ。ひとは状況を観察する能力を持つとともに、
よりよくなるために変化する意志を持つべきではなかったろうか。だから理性を積極的に
使わなければならないのだ。習慣的に理性を活動させるために、思考に種々の刺激を与え
なければならない。それだけでなく、一貫的な決まりを定めて非一貫的な状況を減らさな
ければならない。その双方が行われたなら、われわれはインドネシア人の振舞いが変化し、
どんなに強固な習慣をも変化させることを期待できるだろう。[ 完 ]