「災厄に親しむ感情社会(1)」(2020年02月03日)

ライター: コンパス紙記者、M・サイッ・ワッユディ
ソース: 2016年1月17日付けコンパス紙 "Masyarakat yang Mengedepankan 
Emosi"

去る11月13日にフランスのパリを揺るがした自爆テロ攻撃から62日が経過して、1
月14日に同種の事件がジャカルタを揺るがした。襲撃パターンはよく似ており、また犯
人グループもイラク・シリアのイスラム国に所属する者たちと見られているが、社会の反
応はまったく異なっている。

その二つの事件の襲撃スケールと被害者数はまったく違う。パリでは128人を超える死
者が出たがジャカルタでは7人であり、しかも7人のうちの5人が犯人と目されている。

パリでの襲撃場所は市内の互いに離れた繁華街数カ所に散らばっていたのに対し、ジャカ
ルタはタムリン通りのサリナ地区一カ所だった。


パリでの襲撃は何日も後まで集団的恐怖・強い警戒意識・深い悲しみをひき起こした。ジ
ャカルタでは自爆者の爆弾が破裂した後、大衆は現場に集まってきて被害者を取り巻いた。
危険がまだそこに残っているかもしれないことに気付いていない。

テロリストが警官に発砲したとき、集まっていた大衆は大混乱に陥った。しかし現場から
避難しようとする動きは起こらなかった。かれらは警察が引いた進入禁止ラインまで下が
っただけで、テロリストと警官の決闘を見物するために人間の壁を作った。


「インドネシア人は第一印象に強く影響される。その裏側にどのような潜在リスクが隠れ
ているのかを見ようとしない。」マナドのサムラトゥラギ大学脳と社会ビヘイビア研究セ
ンター長はそう述べた。

怖気をふるいたくなるそんな状況さえ、現場で商売しているカキリマ商人たちの足を引き
下がらせることはできなかった。カキリマ商人たちは商売道具や商品が壊されたり盗まれ
たりしないよう、現場にしがみつくことを選んだ。それどころか、商人の中には現場に接
近してきた者もある。かれらにとっては、人間の集まっている空間こそが商売の最前線な
のである。

バーチャル世界やマスメディアのいくつかは検閲などいっさい行わないでテロ襲撃の恐怖
を社会に提供した。別の場所での爆弾の情報が飛び交って世間の恐怖を高めたが、それら
はホウクスだった。情報の共有という善行を行うつもりのひとびとは、ホウクスかどうか
を確かめようともせずに、偽情報を世間に広めた。

「情報の真偽おかまいなしに、情報のイニシャル発信者になろうとする意欲は人間が持っ
ている本能的なものだ。それは社会的エンパシーの欠如を意味している。それは教育と社
会での交際マナーによって改善することができる。」研究センター長はそうコメントする。

< 感情的 >
パリの民衆は、火災からテロ襲撃のような混乱に至る種々の災厄に対する訓練ができてい
るが、インドネシア人の大多数はそれができていない。テロに対して最初に現れたインド
ネシア人大衆の反応は純粋に感情だけに基づいたものであって、訓練によって作られたも
のではない、とヨグヤカルタのガジャマダ大学心理学部社会精神保健センター研究員は語
った。[ 続く ]