「災厄に親しむ感情社会(2)」(2020年02月04日) 訓練された社会では、噂や正確かどうかわからないまま流されて集団恐怖を煽るような情 報に容易に呑まれることがない。感情優先社会というのは、実は心配りと畏敬文化の苦い 果実なのである。その文化はポジティブな価値を持っているが、ネガティブな影響をもも たらし得るものであり、現に見返り謝礼や汚職を発生させている。 ひとびとは、感情を統御できるようになった段階で、認識をまとめようとし始める。情報 のチェックがやっと開始されて精神的安定が強まる。警察がテロリストを制圧して被害者 数が以前ジャカルタで起こった事件の時よりも少ないことを知ったあとは、落ち着きが更 に深まった。 続いて、大衆の関心が移り始める。起こったテロ事件の推移だけでなく、テロリストを倒 したヒーローについての関心が高まり、その事件にまつわる警察のあらゆる動きから現場 周辺にいたカキリマ商人の動きにまで興味が広がっていく。 テロリスト制圧の中で起こったさまざまなエピソードが甘味料にされて付け加えられる。 見栄えの良い刑事、警官の制服、持っていたバッグや靴のブランド、カッコいい刑事がつ けていた整髪料を使うと自分の姿もあんな見栄えの良いものになるかもしれない。 インドネシア人の高い感情依存傾向はかれらの関心を、外見的なものやアトラクティブな ものに容易に向けさせる。それが驚嘆させるものであろうが、心痛を呼び起こすものであ ろうが、関係なしに。 < 自信 > 銃撃戦が行われている場所を遠巻きにしている群衆の中にいるカキリマ商人はその場で商 売を続けてかまわない、といったたぐいの種々の肯定的な情報によって、ひとびとは事態 がコントロール下にあることを知る。そのときに、大衆の心理の中にシンパシーと自信が 生まれる。ひとびとは事態に対する評価を行い、状況は恐れていたほど切迫したものでな いことが理解されると、さまざまなジョークが続出した。そのあと大衆は心理的回復フェ ーズに入り、「(テロを)われわれは怖れない」運動を発足させる。テロ事件は連帯と共 存意識を盛り上げさせ、民族としての自信を強化したのである。「テロに対する連帯と共 同意欲の出現は民族文化を強化する。」とインドネシア大学人類学教官は言う。 ストレスを煽る状況へのインドネシア人の対応は、西洋人と異なっている。個人主義的西 洋社会に比べて集団社会であるインドネシアでは、社会的サポートと仲間同士への意識が はるかに強い。しかし集団社会における大衆の「テロリズムを怖れない」運動が個人個人 のテロに対する対決行動に向かうようなことは起こらない。怖れないと表明する人間が仲 間の中にいるから、自分は怖くないと感じるのである。個人の内面にその決意を抱えてい るかどうかは別問題だ。 他人に見倣おうとする姿勢は父権制度文化の遺産である。その文化はゴトンロヨンを推進 させるために良い面を持っていると評価される一方、他人への依存心を高めて個人個人が 危険に対する感受性を磨いていかないという悪い面をも持っている。[ 続く ]