「災厄に親しむ感情社会(終)」(2020年02月05日)

< できごとへの意味付け >
恐ろしいものを含めて、起こったできごとを意味付ける方法もインドネシア人と西洋人の
間で異なっている。西洋社会は内面に自己統制源を持っている。すなわち、自分たちに起
こったできごとはすべてが自分たちの行動の結果であるという意識だ。

一方、インドネシア人の自己統制源は本人の外にある、つまり運命や宿命だ。嫌な、ある
いは望んでいないものごとが自分に降りかかって来たとき、かれらはそれを避けることの
できない運命として捉えるのである。

インドネシア人は自分に降りかかって来たものごとを、無条件で積極的に受け入れる傾向
を持っている、とガジャマダ大学心理学部社会精神保健センター研究員はコメントした。
その姿勢は国民をして政府の災害軽減政策にあまり口うるさく関わろうとしない方向に向
かわせる。社会は自分たちに降りかかって来たできごとを容易に受け入れてしまうのであ
る。

それは同時に、降りかかって来た災厄が与える衝撃からの社会心理上の回復が西洋社会に
比べてより速いという効果をももたらしている。その結果として、災害に対する意識の低
さや、自分の行く末をいとも簡単に他人に委ねてしまうような現象へと連鎖反応していく
のである。

インドネシア大学人類学教官は、テロ事件が長期に渡る精神的な痛みを残さなかったのは、
さまざまな災厄で満腹状態になっていることと無関係ではない、と指摘した。サリナ地区
で起こった爆弾テロ襲撃が民衆にとって初めてのものだったわけではなく、もっと破壊的
な類似のテロ事件や自然災害をかれらは体験し、あるいはその耳目に収めている。「体験
したり、読んだり、見たり聞いたりした災厄の記憶は残っていて、それが新たな災厄に対
する予測や反応のために参照される。」

ひとびとはマスメディアやソスメドから毎日のように、事故や嗜虐的犯罪でひとが死んで
いる情報を雨あられと降り注がれ、災厄に関する感受性が麻痺させられている面があるこ
とを、サムラトゥラギ大学脳と社会ビヘイビア研究センター長は指摘している。その結果
大衆は爆弾・バラバラ殺人・人間の死といった恐ろしいことがらに、簡単に驚かなくなっ
ている。

そんな状態にある大衆の災厄に対するパラダイムは変えて行かなければならないのだ、と
ガジャマダ大学心理学部社会精神保健センター研究員は主張する。感情的な国民をもっと
理性的なインドネシア人に変えていくために、政府がその動きに深く関与しなければなら
ない。災厄に直面した国民にいつまでも忍耐と諦めを求めていてはならないのだ。「忍耐
と達観を教える優れた文化の特質は維持されなければならないが、災害軽減とリスクマネ
ージメント能力も教えていかなければならない。」

合理性を優先させる適切な教育システムは国民の災害に対するパラダイムを変えるための
有力な方法になるだろう。インターネット上にあふれかえっている諸情報をもっと選択的
に受け入れて広めることは、合理性がその鍵を握っている。社会的パニックはもっと抑制
されるはずにちがいあるまい。[ 完 ]