「RT・RW制度の歴史(1)」(2020年02月05日) インドネシアでは、国民管理行政の末端でRT・RW制度が営まれている。RTはRukun Tetanggaの頭字語で、原則は地域割りをベースにして10から50戸の家庭で構成される 住民自治組織であり、役員は住民間で選挙され、一定期間の任期を務めてから交代する。 ただし、地域割りで一度作られたRTに戸数が増加してくれば、50戸前後という上限を はるかに上回る状況になることも、特にジャカルタでは大いにありうる。だから最大50 戸程度という常識を超越しているRTもあるし、だからと言って放置されることもなく、 そのうちにRTの地域割りが変更されてRTの分割や組み替えが行われることもある。隣 り合ったRTの番号が大きく飛んでいるようなケースには多分そんな事情があるのだろう。 一方のRWはRukun Wargaの頭字語で、複数のRTを統括して行政機構の末端にあるKelu- rahanまたはDesaとの間の架け橋機能や管下のRTを取りまとめる機能を持っている。R W役員はRT役員が合議して選出する。 インドネシア国籍者であれ外国籍者であれ、インドネシアのどこかに居住するとなるとこ の制度と無関係では済まない。国民管理行政機構として外国人をすべて除外するのも難し く、反対に住民監視機能から見るなら、外国人が含まれるほうが監視の目が行き届くとい うことにもなる。 インドネシアの行政手続きではやたらさまざまな書類が要求される。それらの書類の根源 を扼しているのが居住民であることを証明するRTの文書や証明であり、だから外国籍者 にとってもRTはたいへん重要な位置を占めていると言うことができるにちがいない。 そんなRTの役員に外国人がなることは基本的に考えにくいのだが、たとえば南ジャカル タ市ポンドッキンダPondok Indahのある地区のように住民のほとんどが外国人になってし まうと、外国籍者をRT役員にせざるをえないケースも起こってくる。そこでは、外国人 がRT長Ketua RTになっているという話だ。 日本で戦時中に行われていた隣組制度が敗戦で廃止され、それに代わって町内会システム が日本では行われるようになっているが、地域住民全員参加の行政機構の一環としての隣 組やRTとちがって、町内会は参加不参加の自由を住民に与えているようだ。そのためか もしれないが、今から40年近く昔に外国籍のわたしの妻が町内会子供会の会長を務めた ようなことも起こった。それはRTのケースと背景が少し異なっている。 インドネシアでRT制度の解説は次のような形で行われている。これは日本軍が持ち込ん できてこの地に植え付けたものであり、行政統治者にとって有効な制度であったことから、 共和国独立以降も連綿と続けられてきた。 国民が感謝しているのかどうかは別にして、外国が関与したことを恥じる雰囲気など毛頭 もない。独立宣言起草にまつわる感情とは大違いの現象だ。[ 続く ]