「RT・RW制度の歴史(終)」(2020年02月07日)

隣組制度の開始はジャワ奉公会設立と時を同じくしている。ジャワ奉公会はインドネシア
社会を大東亜戦争の総力戦に駆るための駆動組織として設けられたものだ。日本軍は隣組
とジャワ奉公会を使ってインドネシア社会の末端まで握りしめることに成功し、連合軍の
反攻に備えるための態勢を構築して行った。戦況は日本にとって希望を持ちえないほどま
で悪化しており、全国各地に連合軍の上陸を迎え撃つための防衛態勢が突貫工事で進めら
れて行ったのである。労務者の悲劇は各地で起こった。


インドネシア共和国は隣組制度をRT・RW制度と名を変えて引き継いだ。指導される民
主主義時代にこの末端行政システムは国民統制・政府通達ルート・軍事行動の支援に大き
く貢献した。1950年代に起こったカルトスウィルヨの率いるダルルイスラム/インド
ネシアイスラム軍Darul Islam/Tentara Islam Indonesia(DI/TII)反乱に対してインドネ
シア国軍は民衆防衛組織Organisasi Pertahanan Rakyatを構築し、反乱軍のゲリラ活動封
じ込めに効果を上げた。その対反乱軍作戦はナスティオンA.H.Nastion将軍の考案したも
ので、その時期に共和国の存続に果たした同将軍の功績はたいへん大きい。将軍の持った
国軍と国民の融合という視点から国軍の二重機能というコンセプトが生まれ、また196
2年には市民防衛隊Pertahanan Sipil略称ハンシップHansipが創設された。ハンシップは
国軍を更にその下の、草の根民衆レベルで支えるものだった。

930事件で政権交代が起こったあと、オルバ政府は日本軍政期と類似の構想でRT・R
W制度の扱いを強化した。国民監視、中央政府および軍からの方針通達ルート、そして地
区保安制度Sistem Keamanan Lingkungan (Siskamling)を用いた居住地区の治安運営がそ
の目的だ。それに加えてオルバ政権は種々の軍国主義的国民活動を促進させて国内治安と
国民統制を強化し、政権の安定を図った。その諸方針とはKamra (Keamanan Rakyat)、
Wanra (Perlawanan Rakyat)、Ratih (Rakyat Terlatih)等々である。その総合大衆保安防
衛システムSistem Pertahanan Keamanan Rakyat Semestaの中でRT制度はオルバ強権政
府の内政活動を支える強力な資源として使われた。


現在、国民のRT・RW制度への支持が低下しつつあるものの、この制度は依然として地
域住民の行政管理末端レベルで有効に機能していると考えられている。オルバ期に促進さ
れたRTレベルでのゴトンロヨンやシスカムリンの住民活動は特に都市部で人気を失って
きているのも事実だ。

共和国の歴史の中で行われてきた国民の日常生活に対する軍隊式統制は国民が目指してい
るシビルソサエティにとって逆向きのものだという議論はそれとして、この制度がたどっ
てきた歴史に思いを馳せるなら、この歴史の遺産が現在のインドネシア人の姿を形成して
いる要素のひとつであることを疑う余地はあるまい。[ 完 ]