「暴力は経済資源」(2020年02月18日) ライター: スナンアンペル国立イスラム教大学教官、アブドゥ・アッラ ソース: 2014年2月8日付けコンパス紙 "Antara Narsisisme dan Komodifikasi" 今日ですら、ヨハン・ガルトゥンJohan Galtungの言う構造的・文化的・即物的な三形態 の暴力はインドネシア社会と一部の集団を襲い続けている。それどころか、一部のケース においてはその暴力を永続化させようと努めているニュアンスすら感じられる。 暴力永続化現象、あるいは最低でも終結を遅らせようとしているありさまは、特定勢力あ るいは不良役人が解決の扉をぴたりと閉ざそうとしている点に明白に現れている。おまけ にその状況をたどっていくと、起こっている現象に対してかれら不良役人や特定集団がま すます油を注いで過熱化させようとしている実態が見えてくる。 通常、特定集団によって、または特定集団に対して行われる三形態の暴力は深い含蓄を伴 っている。それは暴力被害者にのみ向けられているのでなく、社会全体をも対象にしてい るということだ。つまりはその影響が暴力行為者に向かってブーメラン現象として返って 来る可能性もあるということなのである。おまけにそれは、わが民族の分裂を煽る起爆剤 となるうるものであることに、疑いをさしはさむ余地はない。 < 理性の死 > インドネシアの暴力行為者が必ず宗教を信仰していると自認するのは疑いない。だったら 宗教の役割は暴力行為者の理性を導くものではないのだろうか、などという質問は意味が ない。かれらの一部にとって宗教など、自分の生活に何の影響をももたらさない単なる名 前でしかないのである。宗教シンボルは特定の場面においてのみ口に出され、宗教行為の 実践は本質のないただの習慣的行為として行われているにすぎない。 このタイプの暴力は宗教と無関係に、何の関連性もなしに行われる。一方別の者たちは、 自己集団ならびに敵対する別集団のアイデンティティをより際立たせるためのシンボルと して宗教と個々の流派を含むその派生物を掲げる。この種の者や集団が行う暴力は宗教的 ニュアンスを色濃く漂わせることになる。理性を研ぎ澄まし、モラルを生活の重しとする 代わりに、宗教がおのれの暴力行為を正当化するために使われるのである。 その二種の暴力はほとんど同じ根から発している。暴力行為者の姿勢や行為あるいは思想 は、クリストファー・ラッシュChristopher Laschの言葉を借りるなら、ナルシシズム文 化により強く導かれたものだ。 ラッシュの論を言い換えるなら、個性が生み出す文化は発展して、現代生活への不安と無 力感を抱えた集団の社会現象となる。かれらは自分自身にとっての必要性に最大の関心を 向け、他人や他集団の利益を無視する傾向を持つ。 かれらの外の暮らしや環境などは自分自身と自分らの生活ならびに見解に対する脅威であ るとかれらは見なすのである。それと同時にかれらは自己の尊厳への喪失感や精神的虚無 を感じて、外界と関わりを持つことに困難を抱く。 そのような状態の中で自己陶酔的集団は、宗教や幻想など現実の裏側に隠れているものを 使って自らを強く正しい唯一の集団であるというイメージ形成を行い、それと並行して自 分たちの外にあるものはすべて間違っていて穢れているので滅ぼさねばならないものと位 置付けるのである。 普通、その正しくないすべてのものを滅ぼすための唯一の方法が暴力やその種のものとさ れる。ナルシシズムが暴力行為者を自己陶酔状態にさせるため、かれらひとりひとりの姿 勢や振舞いを導く力は失われてしまう。 < 根を断つ > 暴力を商品、それどころか自己の生計手段にしていると思われる別の不良役人や勢力が出 現すると、問題は一層混沌としてくる。一部のケースにおいて暴力が商品化されている感 触は、いくつかの暴力トラジェディ事件にその影を見ることができる。明白な形として見 透かすことはできないが、売買の色濃さと臭いはたっぷり感じられる。 暴力事件の終結が延び延びにされて行く現象を指摘することができるだろう。可能な限り 暴力を永続化させる努力が払われていることは、否定のしようがないのである。 一部集団におけるナルシシズムと暴力の強まりは、既に商品となってしまった教育から始 まってわれわれのヒューマニズムに唾を吐きかけている現代化に至るまでのさまざまな問 題に回帰する。それゆえに、教育の再構築が特に長期的な視野から真剣に行われなければ ならないアジェンダとなるのは言うまでもないことだ。 教育は真の啓明力を持って、人間を自覚のあるおとなに育成しなければならない。自分自 身に対してのみ責任を負うのでなく、家族、環境、社会、更には国家にまで責任を負うこ とのできるおとなに。完ぺきな宗教教育というのはこのフェーズに属していなければなら ないものだ。 言うまでもなく家族の役割も、実際的な意味における人間造りの場という元来の機能を回 復させなければならない。知性・情緒・意欲をカバーする諸アスペクトと同様に個々人が その中で個性を発展させ成熟させる場として、家族の機能は教育プロセスと切り離すこと のできない一部分なのだから。 < 共通対策の必要性 > 同時に、現代化は常にモラルに先導されることで、人間を生活並びに他の人間との関わり 合いから絶縁させないようにしなければならない。更にもっと重要なのは、人間は常に創 造主からのモラルの指導を必要とする生き物であると位置付ける方向性を現代化に持たせ なければならないことだ。 即刻着手されるべき緊急アジェンダは暴力商品化の機会と余地をなくしてしまうことであ る。問題解決の一元化を唯一の共通対策にしなければならない。能力のある者ならだれで も、一元化されたコーディネーションで問題の終結に迫ればよい。もちろんそのコーディ ネーションは完全な透明性を持ち、終結を延び延びにさせるいかなる機会も与えないもの でなければならない。