「失敗民族(後)」(2020年02月20日)

抱擁的な政治経済システムであっても、ひとつの国の中では統合的な政策と方向性が必要
とされる。統合的な国家政策は実践されうるものでなければならない。そのためには強力
な国家的リーダーシップが必要となる。そうでないと、それはカオスを生み出すだけにな
ってしまう。期待された経済成長は障害を蒙る。抱擁的政治経済システムだけでは経済成
長の実現が保証されないのは明白だ。

< インドネシアへの教訓 >
この書物はインドネシアにとってたいへんに価値ある学習素材になりうる。レフォルマシ
期以来の政治経済システムは、宗教的な、あるいは種族的なプライモーディアリズムの種
を残しているとはいえ、抱擁的になったと考えられている。構造的に政治経済システムの
抱擁主義は行き過ぎになった。極端に解放的になった地方自治政策によって作られた条例
規則を中央政府が廃止している現象にそれを見ることができる。それは協調的国家運営が
困難になっていることを示すものではないのだろうか?州レベルでも同じようなことが起
こっている。州内の第二級自治体間のコーディネーションがいかに難しくなっていること
か。各地域ごとの潜在性は大きく異なっているために、このような解放型自治は地域間較
差の機会を押し開くのである。

おまけにわれわれが実践している経済システムは、外国勢力による支配にチャンスの扉を
開いている。外国からの投資をわれわれが望んでいることから、それは多分避けようのな
いものだろう。この国の経済成長をわれわれが享受するのと同様に外国勢も享受するので
ある。貧困や失業の撲滅がいまだに解決困難な問題になっているのは当然だ。そして労働
問題も安定しない。世銀のドゥーイングビジネスランキングでインドネシアは他の諸国の
後塵を拝している。何が間違っているのだろうか?


日本やスカンジナビア諸国から学ぶべき教訓があるようだ。そこでは政治経済システムが
抱擁的であるとはいえ、民族の全潜在性を統合できる経済政策と文化が存在しているので
ある。その政策と文化というのは和合感情であり、つまりゴトンロヨン性向なのだ。スカ
ンジナビア諸国の経済は協同組合開発に重点を置いており、勤労者は自分の職場に設けら
れた協同組合を通して会社を持つ機会を与えられている。日本では生涯雇用という名で知
られている終生の雇用関係にもとづいてその人生を会社に尽くすことが行われている。

全雇用者に対して会社が社会保障制度を通して妥当なレベルの生活基本需要を満たしてく
れるため、会社への帰属意識はたいへん強いものになる。アウトソーシングが行われない
ことから、労働問題は減少する。その意味において日本は、きわめて巨額の社会保障資金
を持つ国として知られている。その資金を銀行が貯えていることで、日本は貸付金利率が
1%に満たない、たいへん低い国のひとつになっており、それが労働力需要をますます高
めることにつながっている。

われわれインドネシア民族がわれわれの文化に応じた政治経済システムを見つけ出す努力
を続けなければならないのは、決してオーバーな話ではないのだ。抱擁性ある文化はビン
ネカトゥンガルイカにマッチしている。しかしわれわれが行っている多政党による国民選
挙制度でのデモクラシーと地方自治政策は行き過ぎた抱擁性である印象をもたらしている。
政策やリーダーシップの面で統一と和合の精神の実現が困難であるなら、カオスが懸念さ
れるばかりだ。[ 完 ]