「続・値段の種類」(2020年02月24日)

ライター: 短編作家、レイニ・MP・フタバラッ
ソース: 2011年12月30日付けコンパス紙 "Harga"

宣伝広告の世界では、広い意味における言語(文字・絵・動き・音声・明暗・音・色)は
単に情報媒体として働くだけでなく、ある製品のイメージ作り・価値創出・社会階層シン
ボルとしても機能する。誘引力を持つと見られている言葉のひとつにhargaがある。

宣伝広告制作界は一般的に、購入決定の前に消費者が注意を向ける最初のものが値段であ
ることを理解している。国語センターKBBI第四版はhargaの語義を、特定時期の特定
マーケットにおける品物やサービスに対して支払われるべきものと同等のお金あるいは金
額、もしくは他の交換ツールで決まる、もしくはそれらで形成されている品物の価値であ
ると定義している。

商取引におけるもっとも有名なことわざがada uang, ada barangだ。取引される品物の価
値に対して、それと交換されるべきお金や値段がある。そのポイントに向けて宣伝広告制
作者は、往々にして文法の決まりなどお構いなく自己の創造性を駆る。hargaという言葉
がイメージ作りのために、特に最近ジャカルタの屋外広告でどのように使われているかを
見てみるがよい。harga gila, harga miring, harga nekat, harga bersih-bersih, harga 
perdana, harga diskon, harga promo, harga pabrik. 2011年末にはharga akhir ta-
hunも出現した。新年にはharga awal tahunが出てくるだろう。tebas hargaやbanting 
hargaもある。あるバーチャルサイトはhargagila.comとさえ名付けられている。

単に確認や引用のためにインドネシア語辞典でそれらの語義を探しても、見つかることは
ないだろう。辞書はお呼びでないようだ。自分のフィーリングを信じて、間違いを恐れず
に、自分なりに結論付ければよい。いずれもがharga murahあるいはharga sangat murah
を意味しているのだ。その語義が出現するのは、原義を抜き取ってそれをバハサガウルあ
るいはブタウィ口語として取り扱う方法のなさしめるわざだ。たとえばtebasやbantingと
いった言葉は粗野で暴力的な行為と無関係になっている。それらは既にマーケティングコ
ンセプトのひとつとなり、消費者がつられて購入行動を起こすための面白くて誘引力のあ
る表現にされている。本当はrabatやpotonganといったもっと節度ある同義語があるとい
うのに。

しかしさまざまな公共空間における宣伝競争においては、文法への服従さえ最終項目にな
っていて、目新しさやセンセーションが優先されている。その原因は物売りたちまでもが
nasi goreng gilaやnasi goreng setanといった名称を売り物に付けてはばからないから
だ。gilaもsetanもマーケティングコンセプトであり、tidak warasやsintingあるいは
hantuの同義語として怖ろしくぞっとする状態を示しているわけではない。その表現はジ
ャカルタ人のガウル言語である「Gile lu!」に対応するものなのである。

宣伝広告制作者の創造性の裏側には、やせ細った財布の持ち主層に対して、品物の価値と
してのhargaという言葉から不気味さを抜き取ってその言葉への親愛感を高めようとする
努力が付随している。それはhargaという言葉に対する、本当はたいして重要でない品物
に必要性を作り出すための搾取行為である。本当のサブテキストはada harga, ada kebu-
tuhanなのだ。廉価だから買いなさい。必要性ではなくて廉価であることが一番重要なの
だ。購入の欲求は生きること自体が持っている必要性なのである。