「イスラムは利子禁止!?」(2020年02月27日)

「イスラムは利子禁止!?」(2020年02月27日)
ライター: 花の愛好者、サムスディン・ブルリアン
ソース: 2014年1月25日付けコンパス紙 "Bunga 'Ya', Riba 'Jangan'"

ヒンドゥ、ユダヤ、ブッダ、キリスト、イスラム・・・・世界的諸宗教の聖なる文書は
bunga(花・利子)を貶している。あ、いや、ちょっと待て。貶されているのはriba(利子)
だったかな。フム、その二語はどう違っているのだろうか?

bunga, rente, anak uangは借りた金の費用として支出されるものだ。国語センターのK
BBIはその語義を、imbalan jasa untuk penggunaan uang atau modal yang dibayar 
pada waktu tertentu berdasarkan ketentuan atau kesepakatan, umumnya dinyatakan 
sebagai persentase dari modal pokokとくどくど説明している。KBBIはbunga uang
の同義語として、アラブ語riba、オランダ語renteを挙げている。ribaはその語義をorang 
yang meminjamkan uang dengan bunga sangat tinggiとするlintah daratを同義語にして
いる。それゆえに、rentenirはlintah daratなのである。renteとribaは同じ穴の狢なの
だ。

つまりriba/renteとbungaには「sangat tinggi」と表現されている部分に違いがある。
bungaにとって「sangat tinggi」ということの標準はどこにあるのか?それを決めるの
は誰か?それが問題なのだ。利子というのは、それを負担する者にとってはとても高く、
それを受け取る者にはあまりにも低いものではなかったろうか?

ribaが借金人の暮らしに災厄をもたらし得るものであることを古代社会は悟っていた。
極端なケースとしては、利子が利子を生む慣習が奴隷システムを作り出した。借金人が
借金返済のためにしかたなく金貸しの奴隷になることは、時に本人の代だけで終わらず
に子供や孫の代まで続くこともあった。古代ヌサンタラ社会でその種のシステムは普通
のものであったし、南アジアなどではいまだに目にすることができる。

だからたいていどこでもそれを制限しようとした。5千年以上前、イラクに興った世界
最古の文明のひとつシューメリアは利子の上限を20%と定めた。かれらは利益分配契
約システムを既に知っていたのだ。3千年前パレスチナに生きたヘブライ人は利子を禁
止する姿勢を取り、それはキリスト教とイスラム教に受け継がれている。


古代文書はbungaとribaの区別を行っていない。それが区別されるようになったのは中
世ヨーロッパ経済界においてだった。借金は貧困者の緊急需要にのみ効果があるだけで
なく、民間実業界にとって長期的な生産駆動力になりうることが認識されはじめた時代
がそれだ。商品あるいは土地や道具機械類などの生産財と同じように、資金も金を払っ
て貸し借りされてしかるべきものであるというのがその論拠だ。妥当でフェアなbunga
システムで貸付人と借受人、そしてその仲介者(銀行)のそれぞれがそこから利益を享
受できる可能性を得るのである。

「適正な」「ふさわしい」という要素がbungaつまりinterestに倫理基盤を与えるので
ある。bungaに対する合法性はそこから生まれる。反対にribaつまりusuryは、不適正な
(過剰な)bungaとして非倫理性の要素を内包しており、ribaを犯罪と位置付ける法律
が出されている。その倫理と法の二要素がオックスフォード英語辞典のusuryの語義に
おける過剰で非合法という表現に投影されている。the practice of charging, taking, 
or contracting to receive, excessive or illegal rates of interest for money on 
loan.

市場経済システムでは、金利率の決定は市場自体が行うのを理想にしている。その上が
り下がりは見えざる手が行うのだ。国がそこに介入するのは経済に混乱が起こ(りそう
にな)った時だけで、適正と考えられる最高金利率を特定期間に限定して直接間接に強
制することだけだ。

bungaが花開いて繁栄をふりまく一方、貧困者を吸血するribaは花のない監獄に送り込
まれるのが適正でふさわしいことなのである。