「続イスラムは利子禁止!?」(2020年02月28日)

ライター: アッマジャヤ大学名誉教授、K ベルテンス
ソース: 2014年2月15日付けコンパス紙 "Sekali Lagi tentang Bunga da, Riba"

去る1月25日付けコンパス紙に掲載されたサムスディン・ブルリアン氏の論説は注目に
値する。その理由の最たるものは、言葉の説明が倫理に向けられていることにある。倫理
とは言うまでもなく、して良いこと(ya)としてはならないこと(jangan)について物語る
ものなのだ。そのふたつの言葉を使い間違えれば、言語上の間違いを冒すのみならず、倫
理上の誤りをも冒すことになる。後者の問題が極めて重大なことに、われわれの誰もが同
意するだろう。

サムスディン氏によれば、bungaとは貸し付けられた資金の使用経費として支払われる金
のことだ。一方のribaは資金を貸し付ける際にたいへん大きな金を要求されるがゆえに妥
当と考えられないものを指す。この説明は決して新しいものではない。金貸し行為で金を
得るための異なるふたつの方法を言い分けるために、すべての現代語はそれぞれを指すふ
たつの言葉を持っている。英語にはinterestとusuryがある。エコルズ=シャディリの英
語インドネシア語辞典を見るなら、interestはbunga、usuryはribaと記されている。

インドネシアでbungaとribaの違いは一般に十分理解されているとはいえ、サムスディン
氏が示したように、KBBIはribaとbunga uangを同一視している。KBBIは語義を定
めるための公的基準とされているというのに。


何世紀にも渡って、貸付金からbungaを取るのは非倫理的であると考えられてきた。かつ
てユダヤ・キリスト・イスラムの各宗教はすべてbungaを禁止した。どうしてか?多分そ
の時代、ひとが金を借りるのは生活の必要を満たすために限られていたからだろう。その
ために、貸した金から利子を取り立てるのは貧困者に対する搾取行為であるという見解が
その立脚点とされたのではないだろうか。ギリシャ人哲学者アリストテレス(紀元前4世
紀)は利子取り立て禁止の理論的根拠を示した。かれの意見によれば、金の本質は交換ツ
ールなのであり、金を貸す人間が利子を要求するのは金を商品として扱っているに他なら
ないのである。アリストテレスが言っている意味は、普段われわれがスーパーマーケット
に買い物に行った時に体験することがらから説明できる。店に入る時、われわれは持って
いるバッグや品物をカウンターに預けて預かり証番号札をもらう。その番号札は交換ツー
ルであり、しかもお金の機能も果たすのである。

サムスディン氏の言う中世ではなくて、ルネッサンス時代になってヨーロッパ社会は利子
が倫理的であることを受け入れ始めた。お金の機能に対する見方が変化したためだ。お金
の貸借は生活における緊急需要のためばかりでなく、生産的活動に対しても行われるよう
になったのである。お金は商品であり、お金のマーケットすら形成された。ルネッサンス
時代には初期の形態の銀行が出現した。それ以来、bunga/interestとriba/usuryの区別が
明確化した。

renteとribaが同じ穴の狢だというサムスディン氏の言葉は当たっていない。オランダ語
でさえ、rente/interestとwoeker/usuryの区別はなされているのだ。興味ある疑問は、現
代アラブ語でribaはusuryを意味するのだろうが、interestに該当する言葉は存在するの
だろうかというものだ。もし存在するのであれば、KBBIは語義を訂正しなければなら
ない強い理由を持つことになる。