「良いデブと悪いデブ」(2020年04月02日) ライター: ITB造形美術元教授、スジョコ ソース: 2005年9月9日付けコンパス紙 "Si Gembul" 先月のコンパス紙によれば、インドネシアの子供たちはますますグンブルちゃんsi gembul と呼ばれるようになっているらしい。もっと面白いあだ名は2ドア冷蔵庫kulkas dua pintu。それはジャカルタでの話だが、全国紙に載った以上、それらの言葉は遅かれ早か れ全国民の間で大衆化するにまちがいあるまい。インターネット経由だともっと早い。 最初は若者層が普及者になり、そうして巨大ポイントの文字で広告業界が扱い出す。す るとbokap-nyokapたちも引き込まれ、医学辞典を書いているドクターまでもが巻き込まれ る。 ジャカルタの外でインドネシア語のブタウィ語化が始まったのはスハルト時代だ。わたし が1971年に数年間の外国生活から帰ってきて教官生活を再開したとき、教室で可愛い 女子学生がブタウィ風インドネシア語で質問してきた。アドゥ〜、わたしは心底驚いた。 その生徒はスンダ娘だ。今の学生は礼儀知らずだ、とわたしは思った。 わたしが数年間故国を留守にする前、バンドンでこの種の言葉はまったく使われていなか った。不思議だったのは、このブタウィ語化を行っている生徒は決してできの悪い学生で はないということだった。およそひと月後、わたしはやっと理解した。バンドンのバハサ ガウルが一変していたということを。ジャカルタ出身学生がそれをしているのでなく、ス ンダ・アンボン・ヨグヤ等々の出身学生がブタウィ語の語彙を挿入したり、ブタウィ式接 辞法を使っているのだ。たとえば、バリ語に由来すると言われている接尾辞-inを付けて、 diajarin, dibilangin, digituin, ngapain.....などと。そして今この2005年に、 毎日ではないにしてもコンパス紙にそのような表現が掲載されるようになった。要は新聞 がそれらの表現を粗野でなく丁寧な表現と考えているのだ。 グンブルはジャカルタのスンダ人社会が発祥だろう。なぜなら、それは元々スンダ語だっ たのだから。元々の語義がまだ維持されているように願いたい。というのは、食い意地が 張って食欲を抑制しようとしない肥満児童を指してグンブルが使われているようだからだ。 スンダ語でグンブルという言葉は、頻繁に空腹感を感じるために、ちょっとしたら何かを 食べることを繰り返す人間を指して使われる。間食が好きで、すぐつまみ食いし、おやつ を持ち歩く。だから現代の食品産業は袋入りおやつを小袋にして生産する。ポケットに入 れやすいからだ。 つまりグンブルな子供というのは、正確には肥満児のことでない。もちろん、頻繁に食べ るために肥満になった子供をグンブルと呼ぶことは間違っていない。 コンパス紙が取り上げたgembrotという語もスンダ語由来かもしれない。小柄で太ってい る人間がgembruと呼ばれるからだ。腹がせり出している人間もgembru。gembrotは多分た くさん食べることに関わっているのかもしれない。隣人に尋ねてごらんなさい。 gemukの語義は良いニュアンスを持っており、それどころか誉め言葉になりうるのである。 gemukな身体というのは、痩せていない、中味の充実した身体を意味している。十分な肉 と筋肉がついていて、健康に見える。オランダ人がgoed in het vleesと言い、スンダ人 がlingsigと呼んでいるものだ。 女性は自分の身体がmontokになるとうれしく感じる。スンダ語にはdontoという言葉もあ って、充実した肉付き、健康で力強く、敏捷な身体について用いられる。ムラユ人は begapやgempalと言う。腹がせり出していてもかまわない、問題ないのだ。大衆語として のgemukはそういう意味なのである。ジャワ人がわれわれの身体をlemuあるいはlemo、つ まりgemukという場合、普通それは誉め言葉なのであり、腹のシルエットに関して言うな ら、心配するべきはperut gemukでなくperut gendut/buncit/boyas/berdusなのだ。 ただ、お偉いさん方の語法には意図しないで別の語義が注入されたようで、最近は誉め 言葉でなくなっている。多分、もっと適切な言葉が見つからなかったせいだろう。 gemukな肉体は肉付きが良く、begapやsintalともよく呼ばれて、雄々しいイメージが付 随する。dempalというのもそれに近いが、肉付きはgemukよりも劣る。 大きい身体の別種を指してtambunという言葉が使われる。ここに問題が出現するのだ。 gemukと言えば確かにgemukなのだが、充実しておらず、筋肉質でなく、脂肪の塊のようだ。 もっと心配なのは、ジャワ人がgiblah-giblahとかgimblah-gimblahなどと言うケースだ。 まっすぐ立つことができず、歩き方もフラフラしている。ジャワ語ではgleyah, glinuk, gleyah-gleyah, glinuk-glinuk。コンパス紙が取り上げたのは本当はperigemukでなくて peritambunつまりpertambunanのことではないのだろうか?