「伝説の国(後)」(2020年04月09日)

慣習リーダーは同時に現実世界と目に見えない世界を結ぶスピリチャルな架け橋になる人
物であり、リーダーとしてふさわしいと見なされる選抜プロセスを経た者であることが絶
対条件になる。完成された人間とは物欲の世界から自己を切り離すことのできる者である
という観念は、伝統的観念の中での常識的なことがらと考えられている。

ヌサンタラの自然文化の中ではそのような人間が尊敬される地位に就くのである。シクレ
イSikerei、ダトゥDatu、イニッ・ディガラウInyik Dingalau、プンフルpenghulu、ニニ
ッ・ママッninik mamakなどと呼ばれる者、あるいは木の葉や石と会話できる人間がかれ
らなのだ。種族社会を率いるかれらは、自然そのものと共に、各世代の文化がかわるがわ
る交代しながら生き続ける人間の営みを何千年にもわたって導いてきたのだ。

書物文化への移行は大自然の文化秩序を消滅させるのでなく、新たな要素によって補完を
行い、完成度を高めた。書物文化の時代にスピリチャルな架け橋はあたかもスーパー人類
のように描かれた。「・・・、常に静謐にスリ・プラワラナタの瞑想の中に沈潜し、貧者
の庇護者にして諸神の治める世にある王の中の王、立ち昇る想念ははるかに高く、同時に
地上に鎮座する。生きとし生けるものを一律一様に浸し、ウィスナワたちには無益で、ヨ
ギにとっての統制者である。カピラにとっては兵士であり、ジャンバラにとっての富者で
あり、すべての学識における優雅さだ。」(デサワルナナ第一章)

さまざまに異なるスピリチャル様式に発展して行き、入れ替わり立ち代わり大衆を引き付
けている、ヌサンタラ社会における悟り(神との一体化)の姿がそれなのである。

旅行家イブヌ・バトゥータIbunu BatutahがパサイPasaiを訪れたとき、かれの関心を引い
たのはパサイ王スルタン・マリクス・ザヒルSultan Malikus Zahir(ヒジュラ暦726年
ズル月12日に逝去)の個性だった。「スルタン・マリクスは大いに繁栄する王国の主で
あるにもかかわらず、とても質素な人物である。豪華な盛装はたまにしかしない。金曜日
になると、スルタンは素朴な風体で王宮を出て、民衆の中に入って行く。物質的な贅沢へ
の欲望を抑制することを教えるために、スルタンはスマトラ仏教教育期の僧房機能を拡大
させてスーフィー師たちに指導される修道場に変えた。」イブヌ・バトゥータは旅行記の
中にそう記している。

スルタン・マリクス・ザヒルはそんな方法でパサイを、物質的欲望と政治陰謀のゆえに没
落した古代ムラユ諸王国のスマトラ仏教に代わる新しい科学芸術のセンターに変えた。ス
マトラ仏教黄金期の書物文化を継ぎ、敬神的な諸価値を維持する者としてパサイは出現し
た。その結果、イスラムは急速に広まって行った。

< 災厄のモラリティ >
われわれの文明の中で、敬神性原理はどれほど培われているだろうか?先人たちが敬神的
諸価値をしっかりと結び合わせて作った文化の紐のつなぎ目を世人が切り離して破壊的に
なりはじめたときにアトランティスが呪われたことを忘れてはなるまい。民衆は世俗的個
人主義を反映する新たな偶像を作り、暴利をむさぼり、腐敗行為を行い、無制御の動きの
中に暮らした。その結果ヘラクレスの柱は返って火山の噴火となり、馴らした海は巨大な
津波となって一晩のうちに全島を海中に沈めた。

アトランティス民衆にゼウスが与えた災厄は相応のモラリティを含んでいる。クリティア
スは話の末尾に、ゼウスの与えたその災厄の目的はただひとつだったと述べた。「・・・
かれらが非を悟り、純化するように・・・」

言い換えるなら、もしアトランティスの民衆が目覚めて敬神性原理に戻るなら、罰は先延
ばしされただろう。選択の余地はあったのだ。

残念なことに、伝説の筋書きは異なっていた。不実な民衆の運命は破滅であり、より良い
新世代に取って代わられた。今日、われわれはその歴史的悲劇を繰り返そうとしているの
だろうか?であるなら、われわれは太古の歴史のゴミでしかない。時代を超越する美しい
伝説にはならないのだ。まずそれに回答しなければならないのは、今日現在権力の座に着
いているひとびとだ。[ 完 ]