「シルクロードに茶の香り(1)」(2020年07月07日)

茶の発祥は紀元前2千7百年ごろの神農時代の中国とされ、日本への伝来は8〜9世紀に
唐への留学僧が持ち帰ったと言われている。日本語の「ちゃ」は中国中古音の「ヂャ」に
由来しているようだ。

日本へと同じように、茶文化はシルクロードに乗って西方へ伝えられ、タイ〜ベンガル〜
インド〜イラン〜アラブ〜トルコ〜ギリシャ、あるいはロシア〜チェコ〜ルーマニア一帯
で茶は「チャ」「チャイ」「ツァィ」「シャ」「シャイ」といった響きの言葉で定着した。
その流れで行けば、ローマにまで茶が達しなかったはずはないとわたしは思うのだが、現
代イタリア語では「テ」になっている。

そのように、ヨーロッパの中はまた別になっているのだ。ただひとつ、ポルトガルだけを
除いて、茶は「テ」「ティ」という響きの言葉になっているのである。ポルトガル人が茶
を「シャ」と呼んでいるのは、アジアに先駆けしたかれらが中国のアモイで茶葉を仕入れ
てヨーロッパに持ち帰ったからに他ならないようだ。広東語や客家語の発音は「チャ」な
のだから。ただ、まあ、このポルトガルにしても、アモイに達する前にアラブがあり、イ
ンドがあり、更にマラッカやマルクがあって、その上でのアモイや台湾ということになっ
ている。マラッカや台湾は「テ」系なのだから、ポルトガル人はそれらの土地の言葉を採
用しなかったということになるのだろう。その辺りの経緯を調べみるのも面白いかもしれ
ない。


ポルトガルからおよそ百年遅れてアジアに進出したオランダは、インドネシアからヨーロ
ッパに茶葉を持ち込んだ。同時に、オランダ人はインドネシア人が使っている言葉も一緒
にヨーロッパに運び込んだ。インドネシア人はそれをtehと発音しており、オランダ人も
その音に従ってその品物をtheeと呼んだのである。昔のオランダ語は「テー」と発音した
ように思われるが、現代オランダ人の発音は「テイ」と聞こえる。時代による音変化まで
含めていくと、この論説は複雑煩瑣なものになりかねないから、そこまで踏み込まないよ
うにしたい。

ともあれ、オランダ人が、そしてちょっと遅れてイギリス人が「テ」や「ティ」をヨーロ
ッパ諸国に持ち込んだかっこうで、その系統の言葉がヨーロッパでの名称になった。スペ
インもポルトガル人に倣わず、「テ」系の発音を採り入れた。

意外だったのはイギリスだ。イギリスの茶葉に関する歴史を見る限り、インド語の「チャ
イ」や広東語の「チャ」系統の音になっても良かった思われるのだが、どうしたことかオ
ランダ語系の言葉が英語の標準単語になってしまった。


お茶好きのイギリス人がハイティーやらローティー、あるいはアフタヌーンティーなどと
呼ばれる民族的習慣を打ち建てた根源にポルトガル人がいる。

1638年にリスボン王宮で生まれたカタリナ・ドゥ・ブラガンサCatarina de Braganca
(英語でCatherine of Braganza)は、1640年にポルトガル王となった両親の下で成
長し、1662年に英国王チャールズ2世の妻となった。

このポルトガルの王女がイギリス宮廷に入ったことで、かの女がリスボン時代に好んでい
た茶を飲む習慣がイギリス宮廷人の間に広まって行ったという話だ。つまりその時代のポ
ルトガルは茶のライフスタイルに関する限りヨーロッパに冠たる先進国で、土俗っぽいイ
ギリス宮廷がその作法に飛びついたというストーリーがそこから感じられる。王女の嫁入
り道具として持ち込まれた中国製の美しいガラスのポットとグラスで喫茶するカタリナ王
妃の姿がきっと絵になっていたのだろう。

イギリス宮廷で茶葉の需要が急増したことから、オランダVOCがジャワから船積みした
茶葉100ポンドが1664年、イギリスにはじめて輸入された。それ以来、注文はうな
ぎ登りに増加してイギリスがVOCのお得意さんになっていった。喫茶の習慣は宮廷から
一般庶民にまで広がり、1750年にイギリスは年間470万ポンドの茶葉を輸入してい
る。[ 続く ]