「グヌンデンポ茶(前)」(2020年08月12日)

南スマトラ州の州都パレンバンPalembangから西南西に310キロ離れたパガララムPagar 
Alamの町はスマトラ島を縦断する脊梁山脈ブキッバリサンBukit Barisanの麓に抱かれた
高原の町だ。この脊梁山脈が島の西側に接近しているため、パガララムからは隣のブンク
ルBengkulu州に入ってインド洋へ行く方が、南スマトラ州の海岸部へ行くよりはるかに近
い。ブンクルの海岸へは、曲がりくねった道を通って、およそ100キロで到達できるが、
東のジャワ海の海岸へは直線距離で測っても3百キロを超える。

パガララムの町の北西にはひときわ巨大な海抜3,173メートルのデンポ山Gunung 
Dempoが偉容を見せている。パガララムはデンポ山のふもとにできた町なのである。そし
てデンポ山は東の南スマトラ州と西のブンクル州の間の州境をなしている。そのデンポ山
のなだらかで広大な山麓にコーヒーや茶の農園が広がっている。

グヌンデンポ茶は普通に販売されている茶葉に比べて香りが強く、渋みが深く、紅茶の色
に輝きがある。広大に開かれたデンポ山の東側山麓に育ったグヌンデンポ茶は、さえぎる
ものの何もない朝の太陽を満喫して育つ。朝7時から10時ごろまでの日光は光合成を最
も盛んにするため、グヌンデンポ茶はその効果が最大の特徴になっていると第7ヌサンタ
ラ農園会社パガララム製茶工場製造マネージャーは述べている。加えてデンポ山麓の標高
が1千から1千2百メートルになっており、茶葉栽培に最適な条件をもたらしている。標
高がもっと高いと茶は濃くなり、低くなれば香りと味覚が低下するそうだ。


デンポ山の南スマトラ州側山麓に、第7ヌサンタラ農園会社の運営する茶農園が三カ所あ
る。総面積1,478Haのそれらの農園は1929年5月2日にオランダ資本のランボ
ー社NV Lanbouw Maatschappijが興したものだ。第二次大戦中は日本軍がこの農園と製茶
工場を掌握し、独立後は共和国政府農業省が管理した。ところが1949〜51年には戻
って来たオランダと所有権を争ったため、農園と工場の一部が破壊されたりしている。

インドネシア共和国独立承認のあと、1951年から58年まで別のオランダ系企業スラ
バヤ農園会社Cultuur NV Soerabajaが修復して事業を復興させた。しかしそれもつかの間、
1963年までかけて行われたオランダ企業国有化の波の中で南スマトラ新国有農園会社
Perusahaan Perkebunan Negara Baru Sumselの手に経営が移され、最終的に1996年に
第7ヌサンタラ農園会社の経営下に置かれて今日に至っている。

製茶工場は長年の紆余曲折を経ているが、1929年建設当時からほとんど同じ姿を保っ
ている。建築資材の老朽化のせいで修復がなされてはいるものの、オリジナルの資材で保
たれた年数よりも、修復後にまただめになった年数の方が短かかった、という話も残され
ている。 

工場内の設備機械も大半が設立当初からのものだ。生産能力向上のための新鋭機導入は限
られている。農園で摘まれたペコと三枚葉は自然乾燥・破砕・酸化・乾燥・選別の加工プ
ロセスを経て16種類の製品になる。[ 続く ]