「アチェスルタンの食糧政策(2)」(2020年09月03日)

歴代の王に特権を与えられてきたランカヨRangkayo階層の専横は目に余るものがあった。
そのひとつは、ランカヨが食糧供給を握って商品をほしいままに操る仕組みが出来上がっ
てしまっていたことだ。市場価格操作は容易に行われた。市場への供給量を減らせばすぐ
に値上がりが起こる。値下がりが起こらないように小出しに食糧を放出していけば、大儲
けができる。民衆を貧困に陥れるこの種の悪行を統制できなければ、王としての役割が果
たせず、王が支配するべき国家の中身が蝕まれるままになる。

貴族層が貧困にしてしまった民衆の側にも国を脆いものに変質させてしまう状況が起こっ
ていた。民衆にとって、食うためには奴隷になることが手っ取り早い道になっていたのだ。

上流層の一部が自己を富ますために国力を吸い取って国家を空洞化させている状況を正さ
なければ、この国は滅亡するだろう。イスカンダル・ムダはランカヨ層の手から国家支配
権を取り戻すための動きを開始した。中でも最重要案件は、食糧供給のコントロールを国
王が握ることだった。

イスカンダル・ムダにとって、食糧政策の重要性は国内統治のためだけではなかった。ス
マトラ島北部での覇権競争に躍り出たアチェの国力を支える基盤は、自らがスパイス通商
航路の要港になっていることだ。寄港する船はコショウだけでなく新鮮な食糧と水をも求
めてやってくるのであり、希望するだけの食糧が得られなければ商船の足は遠のいて別の
港へ移って行くだろう。それはすなわち、アチェの強敵を育成するのと変わらない。


アチェ王国にとって食糧確保は決して容易なことでなかった。米生産に関する限り、ヌサ
ンタラの各地がジャワ島と同じようなものと勘違いしてはいけない。広大な水田に囲まれ
たマタラム王国、あるいはいかなる辺境の王国であってもジャワ島内であるかぎり、食糧
生産は潤沢に行われていたが、スマトラ島は状況がまた異なっていた。マラッカですら、
ジャワから米を輸入していたのだ。

アチェがラムリ王国辺境の寒村から発展を続けて大都市に進化して行く中で、食糧生産は
増加する人口を養うことに追いつかなくなり、よそで作られた米に依存するようになった。
だからと言って、アチェの土地が不毛だったわけでは決してない。

ヨーロッパ人を含めてアチェを訪れた船乗りたちは、アチェは肥沃な土地に恵まれている、
と書き記している。海岸付近の湿地帯の向こう側は穀物や果樹がたくさん生えている土地
になっており、田を耕すための水牛を養う草地も多い。ところがジャワ人のように、貪欲
にあらゆる土地を耕して食糧を作ろうとする姿勢に欠けていた。アチェ人たちにとって農
耕作業は身分卑しい奴隷がすることだったのである。偉い高貴な人間は働かない。働かな
い人間は偉くて高貴なのである。ジャワにも同じ思想はあったが、人口稠密なジャワには
身分卑しい人間があふれていた。スマトラとはそこが違っていた。

アチェ王国の人間を養うための食糧は、奴隷によって生産される限られた量と、他国から
輸入される多くの量に依存していた。そこの需給バランスに狂いが生じると、アチェの王
都に飢餓が発生することもありえない話ではない。1605年に起こった雨季到来の遅れ
によってヌサンタラの諸地方で凶作が発生すると、アチェがその影響を免れるすべはなか
ったのである。[ 続く ]