「バンとブン」(2020年09月07日)

ライター: インドネシア大学文化学部教官、カシヤント・サストロディノモ
ソース: 2008年11月7日付けコンパス紙 "Bung dan Bang"

フルネームでさえ、短いものの内に入る人物だった。ストモだ。呼び名はもっと短くなる。
トモだ。敬称のブンを付ければ、ブン・トモとなる。1945年11月10日のスラバヤ
の戦闘で重要な役割を果たした人物がかれだ。ベネディクト・アンダーソンがJave in a 
Time of Revolutionの中で、ブンの敬称を名前に冠せられた大勢の闘争家たちの中でスト
モだけが若年世代の人間だったとかれを評したのは、決して偶然ではない。

インドネシア語大辞典KBBI第三版によれば、bungはbangあるいはabangと同じだと説
明されている。つまりひとりの男性に対して親しみを示す呼称なのだ。ムラユの地、特に
パハンPahang州、でもbungはKBBIと同じ意味で使われている。(1989年版Kamus 
Dewan)


bangが兄あるいは年長者扱いする際の親族的呼称の含意を強く持っているのに対して、
bungはその長幼感覚を消滅させる。それを使うひとびとの間での尊敬の感覚を残したまま、
bungに含まれているエガリタリアン姿勢が匂い立つのである。

戦争という状況の中でbungが革命的な様相を帯びたことから、闘争家たちの間でのプライ
ドを濃くにじませた呼びかけ語になった。かれら闘争家たちの名前に関せられたブンの呼
称が英雄への尊称として記憶されたことは、首を傾げるに当たらないのである。それはハ
イリル・アンワルの詩にも投影されている。Karawang-Bekasiの一節はこうだ。

Kenang, kenanglah kami
Teruskan, teruskan jiwa kami
Menjaga Bung Karno
menjaga Bung Hatta
menjaga Bung Sjahrir

そこにBung Tomoは登場しないが、われわれの歴史の中で四人のブンたちはあまねく世間
に知られている。


一方のバンはそのような政治感覚からまったく無縁だ。1970年代にジャカルタ都知事
の重責を果たしたアリ・サディキンは、かれが統率した首都住民たちにとっての兄貴株に
なった。かれの名前に関せられたbangの呼称は民衆のイメージを刺激して統率者と被統率
者間の親密な心理関係を構築させた。それ以来ジャカルタでは、バンが都知事の名に冠せ
られる尊称として定着した観がある。ところが一体どうしたことか、bangと呼ばれるにふ
さわしいと感じられる都知事はバン・アリ以外に見当たらない。

今日、わが共和国のリーダーたちがブンの呼称で呼ばれるのを聞くことはない。ブン・ト
モですら、数多くの記事や読み物の中で単にトモと書かれるだけで、かれが自称する時や
スカルノ宛に書く手紙の中に時おり用いられるだけだ。

前レジームのときに、数人の大臣にその呼称が試みられたことがある。昨今の政治家の中
にも、その業績を印象付けようとしてブンで呼ばれる人たちがいる。革命期の環境と現在
の状況が異なっているため、ブンが使われるとわざとらしく、またハートに食い込んでこ
ない。

こうして、ブンは煙のごとく消え失せた。革命が終わってしまったからだろう。多分ブン
という呼称は、それを冠せられる人間が自己を打ち捨てて何事かをなすのを前提条件にし
ているにちがいない。現代ではあまり見られない行為だ。多分、統率者と民衆の間の距離
がますます離れて行き、統率者をおかしな呼称で呼ぶ必然性が希薄になっているからであ
るように思われる。公式的標準的なもので十分なのだ。このデモクラシーの世の中で、か
つて登場した真の英雄たちの闘争を思い出しながら、さあ、ブン、bungを取り戻そうでは
ないか!