「マタラム王国の米政策(後)」(2020年09月18日)

< 戦争のための戦略米 >
米は戦争のための戦略ツールとしても使われた。スルタン・アグンSultan Agungがバタヴ
ィア進攻を行うずっと以前に東方の諸領主に対する征服戦を行っていたころ、進攻する軍
勢のための米供給は、妥当な進軍路の検討と共に、常に計算の中に含められていた。軍勢
が攻撃を開始する前、秘密部隊はいつも、平坦で安全でしかも米が廉価に入手できる土地
を見つけることを命じられた。食糧基地になる場所を見つけ出しておくことは攻撃開始の
ための必須条件だったのだ。ジュパラJeparaはその例のひとつだ。

敵の食糧補給路を断つことも、敵を倒すための戦術のひとつだった。マタラム軍が敵の補
給路を断てば、敵は食糧に欠乏して安全でないものまで食べるようになり、敵の陣中に病
気が広がる。東方の諸領主に対する征服戦の中で、敵を包囲したときにはいつもその戦術
が使われた。敵の軍勢は米を食べることができずにあり合わせの不適切なものを食べ、士
気が崩壊して互いに殺し合いを始める始末だった。

カルトスロでVOCとの間にコンフリクトが生じたとき、マタラム王は同じ手を使った。
VOCのロッジと対決する際にマタラム軍はロッジを包囲して補給路を断ち、VOC軍は
食糧が得られず戦意が低下した。VOC側は結局食糧を得るためにマタラムに降伏した。

< 外交の失敗 >
しかしながらマタラムは米を外交ツールに使うことをしなかった。それをしたのはVOC
の方だ。パクブウォノPakubuwana一世がVOCと組んでカルトスロをその手に握ろうとし
たとき、VOCは米を外交ツールに使ったのである。VOCがカルトスロ攻撃に加わる報
酬を要求した最初から、パクブウォノ一世の外交は間違いを犯していた。

VOCの要求はシンプルこの上ないものだった。VOC側はパクブウォノ一世に表明した。
VOC軍はカルトスロに常駐してパクブウォノ一世の守護に当たる。その軍兵を食べさせ
るために毎年米を1千袋供給してほしい。
パクブウォノ一世が返事をする前にVOC指揮官は約定書を書き始め、約束の成立を祝し
て号砲が鳴らされた。王はそれを強制されていると感じた。アディパティたちはこの成り
行きに心中穏やかでなかった。こんなやり方が慣例的に使われたなら、VOCの要求はど
こまでエスカレートしていくかはかり知れない。

実際にVOCはますます増長し、最初のそのちょっとしたできごとが後日の大きい災いを
招くことになったのである。カルトスロ要塞守備隊への米供給の要請は、マタラム王国の
力をそぐためのさまざまな要求へと膨らんで行った。その最初のちょっとした要求がVO
Cの策略であったことは想像にあまりある。

< マタラムの教訓 >
マタラム王国の行った米戦略は米がいかに重要な戦略物資であったかということをわれわ
れに教えてくれる。国民が米を主食にしているかぎり、為政者は米を軽視できないのであ
る。

ジャワ年代記に米価格の統御など一言も触れられていないものの、米価問題に関連して農
民に対する支援を行うことは欠くべからざるものなのだ。しかし王宮の兵士や役人のため
には、高価格の米を放置していてはならない。そのコンテキストにおいて、規律ある統治
者だけが米生産を確保し、米価格を安定させ、統治行政の永続をはかることができるので
ある。

オルバレジームにおける統治者だったスハルト大統領は、農民の子に生まれたことでそれ
を理解していた。肥料・苗・水がそろうことで米生産が確保されるのである。さらにかれ
は米価を統御することで農民と消費者に苦難を与えない点に意欲を注いだ。かれは米価の
変動に細かい注意を向けたため、大統領官邸には毎日米価の情報が入って来た。

スハルトレジームが倒れた際、米価が高騰したときに政府の威厳が砕け散るというマタラ
ムの教訓が明らかに示された。スハルトの玉座撤退は1998年の米価暴騰の中で起こっ
たことだった。

現レジームは米の経営問題を軽視する傾向を見せている。農民は肥料と苗の価格が保証さ
れず、妥当な水の入手にも困難をきたすことがある。農民と消費者の双方を満足させる価
格コントロールも行いきれていない。米価は暴走し、投機行為は容易に起こる。

マタラムの教訓とは、米というアイテムの規律正しい経営が強力で強靭な国家の姿を映し
出すということなのである。[ 完 ]