「食の多様性の誇りと現実(8)」(2020年11月25日)

[トウモロコシ]
中南米が原産とされているトウモロコシは、イベリア人が新大陸発見の成果のひとつとし
て旧世界に広めた。インドネシアにそれをもたらしたのはポルトガル人で、かれらが居を
構えた至る所に紹介したに違いあるまい。米を伝統的主食として持っていた地方とそうで
ない地方での定着のし方は自ずと差異が生じたように思われる。

しかし2019年の記事によれば、インドネシア国内の州別トウモロコシ生産の上位は東
ジャワ、南スラウェシ、中部スラウェシ、ゴロンタロ、ランプン、西ヌサトゥンガラ、中
部ジャワとなっていて、大傾向としてのその州の主食と見なされていないところで大量に
作られている面もあるため、生産量と自家消費の関連性を求めることの困難な時代になっ
ていることも確かだ。

ポルトガル人はこの物をミリョmilhoと呼んだため、東部インドネシア地方ではだいたい
どこでもミルmiluという名称で通じるそうだ。しかしもちろん各種族語で違う呼称もある。
フローレス latung
スンバ wataru
ソロル fata
ビマ jago
ティモール pena
ティドーレ telo
ハルマヘラ  kastela
アンボン jagong
ブギス barelle
トラジャ gandung
ゴロンタロ、ブオル binthe, binde
スンダ jagong
マドゥラ jhaghung
アチェ、バタッ jagong
ニアス rigi
エンガノ eyako

因みにインドネシア語のjagungとはジャワ人が名付けたjawawut besarを意味するjawa 
agungに由来している、とインドネシア学者デニス・ロンバール氏は説いている。jawawut
とは日本語の粟のことで、アジア中部東部でコメが広まる前の常食にされていたと考えら
れているものだ。

つまりポルトガル人がヌサンタラに持ち込んで来たトウモロコシを当時のジャワ人は「大
きな粟」と表現したというのがロンバール氏の説である。16世紀にトウモロコシを初め
て見知ったジャワ人がそう名付けたのであれば、12世紀のジョヨボヨ王が予言の中にそ
のジャグンを述べるわけがなく、ジョヨボヨ王の予言はトウモロコシでなかったという可
能性を主張せざるを得ないのである。これも堂々たる「はてな常識」のひとつに数えてよ
いのではあるまいか。この話は:
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10201475210?__ysp=44K444On44Oo44Oc44Oo546L
をご参照ください。


トウモロコシが伝統的主食に位置付けられている東ヌサトゥンガラ州のティモール島には、
トウモロコシ畑の収穫の前に必ず祭礼を営まなければならない慣習がある。祭礼は、出来
の良いトウモロコシを一個畑から取り、そのトウモロコシ様を掲げて村人が総出で練り歩
き、最後に村会所に奉納してから祈祷を捧げて終わる。[ 続く ]