「食の多様性の誇りと現実(10)」(2020年11月27日)

50代のエフィさんにとってホトンは普通の食材なのだが、その子供の世代にとってはな
じみの薄いものになってしまった。乾燥ホトン粒はパサルや商店でほとんど見かけること
がなくなり、目にするものはコメばかりなのである。ホトンが欲しければ農家へ買いに行
かなければならない。おまけに、ホトンを料理して食べさせてくれる食堂レストランもな
い。

ホトンがコメに駆逐されたのは、オルバ時代にPKI(インドネシア共産党)関係者の流
刑地にされたためだという説を言うひともいる。1970年代にジャワ人がマジョリティ
の流刑者たちは食糧確保のためにコメを持ちこみ、流刑キャンプの周辺で栽培し、またコ
メをパサルへ持って行って物々交換もした。まだ未開のブル島に高い文明を持つジャワ人
が大量に入ってくれば、現地の生活慣習に変化が起こらないわけがない。

1990年代にはジャワ人のトランスミグラシ移住先にされたために、コメの栽培に拍車
がかかった。今ではブル島は、マルク州の米どころの異名を取っている。

[ソルグム]
ソルグムsorgumはエチオピアの原産で、アフリカ中央部地域で栽培が始まり、それがイン
ドや中国にまで広まって行った。13世紀ごろには中国で栽培されていたそうだ。アメリ
カ大陸に伝わったのは西アフリカからの奴隷輸出によるもので、18世紀終わりごろには
大平原での栽培が始められていた。

今では熱帯亜熱帯の世界中の地域で栽培され、炭水化物摂取源として第5位の地位に就い
ていて、30カ国以上の5億人を超える人口の食の一部になっている。主力の品種はソル
グムビコロルsorgum bicolorだが、たくさんの種がその用途によって使い分けられている。
ヨーロッパのラテン系諸語ではsorgo、ゲルマン系諸語ではsorghumと綴られて、各国の文
字の読み方で発音されているようだ。日本語ウィキにはソルガムという音で記されている。
一体どこの発音に倣ったものなのだろうか?オランダ語かもしれない。そのソルガムは昔、
日本人がコーリャン(高粱)やモロコシという名称で呼んでいたものだ。


ヌサンタラには1925年にオランダ人が持ち込み、1940年代にやっと栽培が盛んに
行われるようになったという情報がある一方で、フローレス島東部地区には穀物の由来を
物語るすさまじい説話が語り伝えられている。そこにソルグムが登場する以上、ソルグム
の歴史はもっと古い印象を禁じ得ない。その説話はどこかで聞いたような、こんな話にな
っている。

むかしむかし、両親のいなくなった7人の子供たちが苦労しながら暮らしていました。み
んなは毎日手分けして、森に入って食べられる植物を探して来ること、森に入って食べら
れる動物を狩って来ること、海に出て魚を捕って来ることを行い、ひもじいながら何とか
生きていました。当時、穀物や芋・豆類の栽培などはまったく知られていなかった時代で
す。

その子供たちの中にノゴグヌという名の娘がいました。当時、物々交換のパサルはあった
ので、パサルへ行って物々交換するのは女の役割だったため、ノゴグヌがその役目を果た
していました。ところがノゴグヌの持って行く品物は毎回、質の劣る貧弱なものばかりだ
ったために、パサルでみんなに馬鹿にされ、必要な物と交換したくともあまり相手にされ
ません。

挫折と失望が続き、とうとうノゴグヌは嫌気がさして、成果もなしに泣きながら帰宅の道
をたどりました。怒りと哀しみと涙で疲れたのでしょう。途中にある巨木の下で一休みし
たところ、眠ってしまいました。すると夢の中に誰とも知らぬ者が現れて、パサルで使わ
れているような良い物を手に入れたければ、こうしなさい、と教えてくれました。

ノゴグヌはふと目を覚ますと、夢で教わったことを兄弟たちに早く教えなければ、という
気持ちにせかされて、急いで家にたどり着きました。そして一部始終を兄弟たちに話し、
さあ早くそれをして、と頼んだのです。夢のお告げとは何だったのでしょうか?[ 続く ]