「バタヴィア娼婦殺害事件(2)」(2021年01月21日)

ヴェルテフレーデンのウダナWedanaであるサバルディン氏に3千フルデンを与えて事件の
もみ消しを依頼したこと、副検察長に2千フルデンを贈与して事件を閉じるよう求めたこ
と、などの事実が捜査陣の前に明らかになった。警視長の心証は一気に逆転した。ヤツは
クロだ。警察は高等裁判所Raad van Justitieでかれを公開審問にかけることにした。


純血オランダ人がプリブミや印欧混血者に与えた虐待を執拗に裁こうとする行政機関の姿
勢は、その当時あまり一般的なものではなかった。オランダ人はかれらに君臨する存在で
あり、被支配民族のひとりやふたりがどうなろうと主君の重みとはくらべものにならない
というのが社会常識だったのである。だが、機構改編がなされた直後の警察にとって、改
編の成果を世間に示そうという意気込みは社会常識よりもはるかに強いものだったようだ。
ブリンクマンはそのポイントを読み違えたかもしれない。

高等裁判所ではバタヴィアでピカ一の弁護士フルヴェフHoorwegがブリンクマンに付いた。
ブリンクマンはフルヴェフを雇うにあたって契約金額を1万5千フルデンにし、無罪を勝
ち取ったら成功報酬として6千フルデンを上乗せするとまで約束した。

この公開審問がまたまたバタヴィア住民の強い関心を集め、随所でブリンクマン有罪無罪
の話題が花開いた。そして、審問の当日に思いがけないことが起こったのである。フィン
チェの同僚娼婦のひとりラオナの証言が意外な展開を生み出したのだ。
「わたしはあの前夜、たまたま娼館の裏に行ったのです。すると奥の方でひとが騒いでい
る声が聞こえました。わたしはそっと近づいて、竹やぶの後から様子をうかがいました。
なんと、暗がりの中でフィンチェとブリンクマンが喧嘩してるじゃありませんか。わたし
は成り行きを見守りました。すると、なんて怖ろしいことか、ブリンクマンがフィンチェ
の首を絞めたんです。わたしはあっと声を立てそうになって、慌てて口を手でふさぎまし
た。ブリンクマンはずっとフィンチェの首を絞め続け、フィンチェが動かなくなってから
やっと手を放しました。その男がフィンチェを殺したんです。」

ブリンクマンは興奮して口走った。「口から出まかせの嘘を言うな、この売女め!このわ
しが自分の手で殺すはずがない。そのために人を使ったんだから。」
判事がブリンクマンに言った。
「誰を使ったのかね?」
ブリンクマンは唖然として立ち尽くした。
「あっ、いや、この尊敬すべき法廷がプリブミの、おまけに人間の屑である娼婦の言う事
に本気で耳を傾けるはずはありません。その女の話は偽証です。偽証罪で逮捕してくださ
い。」
判事は繰り返した。
「誰を使ったかを聞いてるんだ。」
ブリンクマンは何も言おうとせず、頭を抱えて座り込んだ。


翌日、ブリンクマンは警察に洗いざらい自供した。ブリンクマンはフィンチェを独り占め
したかった。だから娼婦の足を洗って自分の妾になるよう誘った。しかしフィンチェは首
を縦に振ろうとしなかった。何度も口説いたが色よい返事はなかった。自分の思い通りに
ならない小娘にかれは可愛さ余って憎さが数百倍に上ったようだ。

憎しみを果たすためにブリンクマンはジャゴアンjagoanのシルンに殺しを依頼した。5月
16日夜、シルンは手下をふたり連れてフィンチェの帰り道で待ち伏せし、サドに乗って
やってきたフィンチェを引きずり下ろすとサドの御者を追い払い、フィンチェをレープし
てから殺した。

その自供によって、シルンと手下ふたりにも早々に手が回った。シルンはブリンクマンか
ら仕事の手付金しかもらっておらず、成功報酬をもらう前にブリンクマンが逮捕されたた
めに金をもらいそこねていたのだ。踏んだり蹴ったりのこの始末に、シルンはことの経緯
の一切合切をぶちまけた。[ 続く ]