「イギリス人ウォレス(9)」(2021年04月21日)

ウォレスはパプア人とムラユ人の違いについて、ただの外見の違いだけでなくビヘイビア
がまるで異なっていることを強く感じた。パプア人の立居振舞に、活力に満ちてまるでや
んちゃな小学生のような印象を得たようだ。ケイ島の住民はパプア系土着民と外来種住民
がいて、外来系はたいていムスリムであり、かれらの先祖はポルトガル人がバンダ島に住
み着いたときにそこから追い出されたひとびとだったそうだ。ケイ島で話されるムラユ語
の語彙の中に、ポルトガル語源と見られる単語が混じっていることをウォレスは発見して
いる。

翌日、ウォレスも船長らと共に島に上がった。海岸で木造船が造られており、また完成品
も並べられているのを見た船長は即座にそこの小舟を二隻買いたいと商談を始めた。いく
つかの銃・ゴンgong・サルン・ハンカチ・斧・金属盆・タバコ・アラッが船と交換された。

ここではマネーは通用しない。バーターに使われるのはナイフ・布・アラッなどであり、
タバコが小銭の役割を果たす。取引はタワルムナワルが当たり前であって、喋り合いが取
引の重要な内容を成す。吹っ掛けと値引きを言い合い、商談には時間をかける。


ウォレスはここでも標本採集を行ったが、同時に村人に昆虫を持って来るように言い、薫
りのよいタバコでそれを買った。

船長の買った小舟が完成したので、1857年1月6日午後4時、ウォレスの船はケイ島
を後にした。アル諸島のドボに到着したのは1月8日。ドボはアル諸島に交易に来るブギ
ス人や華人たちの滞在地としてできた町だ。立ち並んでいる家はやってきた交易者が住む
ためのもので、ウォレスたちが来たときはほとんどがら空きだったが、翌日から交易船が
続々と到着したので、ほどなく空き家状態の家は減少しはじめた。交易者は建築資材を持
って来て、空き家の間に傷んだ家屋を修理した。

ドボでバーターに使われるマネーはタバコ・ナイフ・サゴケーキ・オランダの銅銭貨ドゥ
イッduitなどだ。魚や果実などの物売には、それらで支払う。

ウォレスはそこで極楽鳥の採集を大いに期待したのだが、羽が生え変わってもっとも美し
い姿になるのは9〜10月であることがわかり、この旅では諦めることにした。それを得
ようとすると、もう一年ここに滞在しなければならなくなり、そんな時間の浪費をする気
はウォレスにない。ただしキングオブパラダイスだけは、成長すれば一年中もっとも美し
い姿で飛び回っている。そしてかれは、アルの内陸部への旅でついにそれを手に入れたの
である。

3月13日、ウォレスは内陸部への探検に出発した。水路を舟でさかのぼる。2時間ほど
の行程のあと、乾いた広い土地に建物がある場所に着いた。大きな納屋のような小屋で、
壁はない。ドボで雇った案内人はそこで滞在すると言う。中には十数人の男女と子供たち
が住んでいて、料理用の火が二カ所で燃えている。

周辺を見分してから、期待できそうだと思ったウォレスはその家の持ち主と交渉した。5
フィート幅の一面を一週間借りる条件で家賃を尋ね、鉈刀一本で合意された。


数日、雨模様の天気が続いたあと、晴れた朝が来た。そして採集に出かけた助手が美しい
小鳥を持ち帰ったのである。ウォレスは有頂天になった。ついにキングオブパラダイスの
完全な標本を手に入れたのだ。ヨーロッパ人の誰一人としてその完璧な姿を見たことのな
い、天然の美の極上のものが、今かれの手の中にある。

はるか遠い古代から、この美しい鳥たちが暗く陰鬱な森の中で生まれ、暮らし、死んで、
世代交代を重ねて来た歴史をウォレスは思った。この未開世界の中に、その美を愛でる知
性の目は存在しない。これほど優美な生き物が未開のジャングルの中に住む野蛮で知性の
未発達な人間にその美と魅力を示すしかないという美の浪費の不合理さの一方で、文明化
した人間がこの遠隔地の処女林に光を当て、住民にモラルや知性を教えたとき、それまで
バランスの取れていた自然の関係が乱されて、この鳥たちが持っていた美しさが低下し、
あるいは個体数が減少し、絶滅に向かうかもしれない。かれはすべての生き物が、そして
大自然が、人間のために作られているのではない、という考えをそのとき抱いた。
[ 続く ]