「イギリス人ウォレス(8)」(2021年04月20日)

村人たちの暮らしは、他のムラユ種族とあまり違わない。女たちは日がな一日、毎日食べ
るコメを搗いて洗い、薪と水を家に持ち帰り、綿を紡ぎ、洗い、染色し、それでサルンを
織っている。織る作業はきわめて簡易なフレームを床に広げ、糸をそろえて模様を作りな
がら織っていく。一日にできるのはせいぜい1インチくらいだ。男たちはシリの木や野菜
を育て、年に一度田を耕してコメを植える。コメは収穫されるまで、多少の世話をしなけ
ればならない。あとは必要に応じて家の修理を行い、マットや籠などの家庭用品を作る。
しかしたいていはブラブラしている。

ムラユ語を話せる村人はおらず、せいぜいムラユ単語をいくつか知っているだけで、ウォ
レスとは会話が成り立たない。おまけに西洋人をはじめて見たものだから、ウォレスに恐
怖症を抱く者が出た。人間だけならまだしも、動物までがウォレスを怖がる。

村のどこへ行こうが、犬が猛然と吠え、子供は泣き叫び、女たちは走って逃げ、男たちは
まるで人食いモンスターでも見たかのような目で凝視する。駄馬までが、ウォレスがやっ
てくると脇へ寄り、ジャングルの中に駆け込んだ。おかげでかれは村の中で、極力人目に
つかないように、こっそりと行動しなければならなかった。いや、村の外でさえ、道を歩
いていて向こうから水牛や馬に乗ったり、荷物を載せたりしてやってくる者があると、か
れの方が藪の中に隠れて通り過ぎるのを待つのである。そうしないと、動物がパニックを
起こせばたいへんなことになるからだ。


その年は雨季の到来が早かったために、11月にかれはメスマン氏の持ち家に帰ることに
した。だが雨季になると、スラウェシ島南部は常に水浸し状態になる。生物採集活動など
できはしない。ウォレスは避雨を考えた。幸いにして、自分がいるのはこの地域一円の交
通と物産の十字路だ。雨季の間、もっと条件の良い土地へ行って採集活動を行い、雨季が
明けたらまたこの宝庫マカッサルに戻ろう。

カリマンタンから籐、フローレスやティモールから白檀や蜜ろう、カーペンタリア湾から
ナマコ、ブル島からカユプティkayu putih油、パプアからナツメグやマソイmasoi樹の皮
などがマカッサルに集まり、そして散っていく。マカッサルの華人やブギス人の商店では、
地元で産するコメやコーヒーと共にそれらの商品がいつも売られている。

中でもパプア島の胸に抱かれたアルAru諸島から送られてくる真珠・真珠母・べっ甲・ツ
バメの巣・ナマコなどはヨーロッパに、中国にと送られて行く。ただ、マカッサルとアル
間の交易と交通に従事しているのはすべてがローカルの人間であり、ヨーロッパ人もヨー
ロッパの船も皆無である。リンネが手に入れた極楽鳥の標本はそこから送られて来たもの
だ。ウォレスはアルへ行くことにした。


マカッサルから船は一年に一回、アルに向かう。西風が最強になる12月〜1月だ。そし
て逆向きに吹く東風の強まる7〜8月にかけて、アルを出てマカッサルに戻って来る。マ
カッサルの現地人ですら、アルを訪れた者はあまりおらず、アルへの旅の体験談を物語れ
ばひとびとはその人間に一目置いて、賞賛した。

ウォレスは数日後にアルに向けて出帆する予定の大型プラフperahuの持ち主に紹介された。
持ち主はジャワ人で、若い美人のオランダ人の妻を持つ、穏やかな物腰の知性的な男だっ
た。乗せてもらうにあたってその金額を問うと、戻って来たときにあなたが払いたいと思
う金額を払ってくれたらそれで良い、と言う。1ドルであろうが百ドルであろうが、それ
以上くれとは言わない、とのことだった。

二本マストの大型プラフは12月13日早朝にマカッサルを出帆したが、豪雨の中の出帆
はうまく行かず、故障が起こって港に戻り、15日に天候が回復して再度準備にかかり、
船はやっと涼風の下を出帆した。オーナーと船長以下、50人ほどの乗組員が乗った船は
航海を続けて12月31日にケイ島に接近し、そこで数日間滞在することになった。ウォ
レスは生まれてはじめて、パプア人の生活領域に踏み込んだのである。[ 続く ]