「イギリス人ウォレス(28)」(2021年05月20日)

マヨールの父親はここの部族の酋長であり、木の皮の衣服を着て高い柱に載った家に住み、
その家は人間の頭蓋骨が至る所に飾られていた。その息子がここまで変わったというのは、
驚嘆すべき変化だろう。もちろんウォレス一行はできるかぎりの最良のもてなしを受けた
わけだが、マヨール側はこのようにヨーロッパ化してヨーロッパ人と交際できることにた
いへんなプライドを感じているのが明白だ。

食事とコーヒーの後、監視官のベンスナイダー氏はトンダノの自宅に向かったので、ウォ
レスは自分の荷物が到着するのを待ちながら、トモホンの町を散策した。結局、荷物が到
着したのは真夜中だった。

夕食も昼食と同じように、豪華な食事が供された。そして休息する段になって、たいへん
小ぎれいで快適な寝室に案内された。

翌朝起きてベランダの温度計を見ると華氏68度になっていた。ここは海抜2千5百フィ
ートであり、普通の最低気温なのだそうだ。ウォレスはバラ・ジャスミンその他の良い香
りの花々の匂いに包まれて、ベランダで新鮮なバター付きパン、卵、コーヒーの朝食を摂
った。そして午前8時、十数人に担がれた荷物と共にトモホンを出発した。


海抜4千フィートの高い峠を越えた後、道は下り坂になって5百フィートほど降下し、ミ
ナハサで最も高所にある村、ルルカンRurukanに着いた。スラウェシ島でもきっと最高所
ではあるまいか。ここはほんの十年くらい前にできた村で、ウォレスがここまでの道中に
見て来た村々と同様の、きれいで清潔な様子をしている。高所が生物体系にどのような変
化を及ぼしているのかを観察するため、ウォレスはしばらくここに滞在することにした。

この村は山岳斜面にできたあまり広くない平地に作られており、ここから斜面は眼下のト
ンダノ湖めがけて、緑の絨毯となって下降して行く。村の周囲はコーヒー農園で、農園は
政府が開き、農作業は首長に統率されて村人たちが行っている。

草取りの日や獲り入れの日が定められていて、その日にはゴンgongが打ち鳴らされ、総数
70軒の村人たちがそれを合図に農園に向かう。各戸からその仕事に出た時間数が記録さ
れて、収穫を政府に納めて得た金はその時間数に応じて各戸に分配される。政府のコーヒ
ー収集倉庫は各地区の中心部に設けられ、各村が産物をそこへ納入すると政府が定めた低
い固定価格で買い上げる。マヨールや首長には一定比率で給付がなされ、それ以外の報酬
は村人の間で分配される。このシステムはたいへん円滑に機能している、とウォレスは書
いている。原住民の生活秩序を確保するのにこれは優れた方法であり、だれかれ構わず自
由市場原理に従わせることが良いことであるとはかぎらないのだから、オランダ領東イン
ド植民地政庁はミナハサ土着民の文明化をすぐれた方法で行っているというのがウォレス
の意見だった。ここの村人はかなり広い水田を営んでいて、毎年、数百ポンド相当のコメ
の収入も得ている。

ルルカンでの滞在でウォレスは村の端にある家に住んだ。絶壁から下の谷川を覗き込むよ
うにして建っている印象だ。そのベランダからの風景は実にすばらしい。朝はたいてい温
度計が華氏62度を指し、日によって80度まで上昇する日もあれば、ほとんど終日変化
しない日もあった。熱帯用の衣服で毎日過ごしているウォレスは、日によって涼しいばか
りか、寒く感じることすらあり、外の湧水で水浴するときなど、まるで氷のようだと思う
こともあった。[ 続く ]