「マレーはムラユに非ず(3)」(2021年05月21日)

現代世界でマラユが地名に使われているのはマレー半島だけであり、つまりはマレーシア
だけがマラユを地名として名乗っているという状態になっている。どうしてこうなったの
かと言えば、オランダがマラユを地名として使わなかったことに加えて、独立インドネシ
ア共和国もあえて地名をムラユに変えることをしなかったから、あたかもマレーシアだけ
がムラユであるという印象を世界に与える結果になった。

イギリス人にとってのマレーとはマレー半島のことであって、マラユという語が示す本来
の意味ではない。つまり英語のMalayとはMalay Peninsularのことを指していて、その地
は現実にもっと広大なマラユの地の一部分でしかないのだ。イギリス人にとって、自分た
ちに関りのあるマレーとはマレー半島だけなのであり、いくらスマトラ島やボルネオ島に
同じマラユ文化を持つマラユ族が住んでいても、北ボルネオ以外はオランダの領域であっ
て、オランダ人(あるいは独立後のインドネシア人)が使う地名に従うのが当然の姿勢に
なる。そうなると、英語マレーの語源はマラユであっても、実用面における意味内容は異
なっているということになる。

つまりイギリス人はMalayという言葉で地名においてはマラヤ半島、人間を指す場合はマ
ラヤ半島および周辺の島々に住む土着民だけを指し示すことを英語の中でした。かつてイ
ギリス人が英語の中で行ったこの観念は、イギリスの国益に関わる部分がマラヤ半島とボ
ルネオ島北側だけだったのだから、それはそれで自然なことだったに違いあるまい。

そのイギリス人が持った視野の中では、マレーの語源であるムラユに含まれている人間と
文化に関わる地域の観念が切り捨てられている。ところが文化人類学的な内容に関してマ
レーの語義を説明するとき、ムラユ語の内容をマレー語として説明せざるを得なくなった。
マレー語はスマトラ島やカリマンタン島の一部で土着民の母語になっているのだから、そ
れはそれで自然な反応だろう。

イギリス人がパレンバンにやってきて原住民の種族名に言及するとき、マラヤ半島に関係
のないかれらをムラユ人つまりマレー人と呼ぶことは起こって当然だ。イギリス人が行っ
てきたことは、根本的な矛盾を内包していたと言えるように思われる。


英語Malayを昔の英語辞典で調べると、地名と人種に関してはマレー半島に限定され、言
語についてはムラユ語本来の意味が語義になっていた。古い辞典をお持ちの読者はその不
統一に気付くだろう。

昨今の英語辞典を見ると、種々の出版物の中でその点が修正されているものに遭遇する。
地域も人間も言語も文化も本来のマラユを語義として説明しているものに出会えるように
変化しているのだ。この現象はつまり、英米人の認識がマレーをマラユの意味にオーバー
ラップさせ、マラヤ半島はその一部なのであるという、現地に存在する理解へ移行しつつ
あるように見える。東洋の果てでは、いったいどれだけのひとがその変化に気付いている
ことだろうか?わたしは英和辞典のことを言っているのでなくて、英単語の語義を英語で
説明する英語辞典(英英辞典)について語っていることを誤解しないでいただきたい。
[ 続く ]